姉妹交流活動の参考事例
姉妹自治体優良事例紹介
風力発電機を活用した交流
- 宮崎県 都城市
モンゴルに風力発電機を贈る会(国立都城工業高等専門学校 内) - モンゴル
ウランバートル
交流事業の特色
- ソ連の崩壊でモンゴルにおいて、物資の輸入が途絶え発電もできない遊牧民に明かりを届けようと1993年「モンゴルに風力発電を贈る会」が設立される。
- 遊牧民の生活に適応した、故障も少なく、持ち運びし易い移動式型の風力発電機を研究・開発・製作して贈っている。
- 風力発電機を贈るばかりでなく、製作方法、修理の方法などの技術指導も合わせて行い遊牧民の生活支援を行っている。
- 風力発電機の寄贈及び設置のため、毎年1回モンゴルを訪問している。
詳しくはこちらをご覧ください。
http://www.city.miyakonojo.miyazaki.jp/
http://www.city.miyakonojo.miyazaki.jp/
贈られた風力発電機の設置を喜ぶ遊牧民
国立都城工業高等専門学校とモンゴル国立科学技術大学との学術交流協定締結
交流事業の内容
1993年の頃、モンゴルはソ連の崩壊でほとんどの物資の輸入が途絶え、ガソリンを使う発電機はあるもののガソリンを購入するお金がなく、遊牧民はロウソクを頼りに営んでいた。こうした事情を聞いた国立都城高専の文部技官6名のグループは「なんとか明かりを届けたい」と1993年「モンゴルに風力発電を贈る会」を設立し、風力発電機の開発に取り組んだ。モンゴルでは年間を通じて平均2.5メートル以上の風が吹いていることから風力発電に注目。遊牧民のことを考え、①安くてできる②メンテナンスが比較的簡単③持ち運び(移動)が可能④現地で材料を調達できる⑤環境にやさしい発電機などの条件を絞った。発電機は、自転車とバイクの発電機を利用した二種類。自転車の場合は、直径60センチのアルミ製三枚羽根が風を受け発電し、整流器を通してバッテリーに充電する仕組みである。風速2、3メートルで発電を始め、本が十分読める明るさが得られる。また、バイク用発電機を使ったものは、直系1.5メートルの耐水ベニア板製の四枚羽根である。充電時間が自転車に比べ半分で済み、出力も4倍以上となる。その後は、全く新しい型の風力発電機を研究開発し、約風速1メートルから発電を開始でき、特許も取得した。モンゴル国内でも、この風力発電機を贈る活動は大きな話題となっており、遊牧民から大変感謝されている。この支援活動が契機となり、1995年、国立都城工業高等専門学校とモンゴル国立科学技術大学は学術交流協定を締結した。また、都城市とウランバートル市の間で様々な民間交流が広がり、1999年11月モンゴル国ウランバートル市と都城市が友好交流都市の盟約を締結することとなった。
都城市の概要 | ウランバートルの概要 | |
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人口 | 170,411人 | 800,000人 |
面積 | 653.8km2 | 1,359km2 |
概況 | 都城市は宮崎県の南西部に広がる都城盆地に中央に位置している。南から北へ大淀川が貫流し、周りを秀峰高千穂の峰を有する霧島連山や、鰐塚山地の山並みに囲まれた緑豊かな美しい自然に恵まれている。また、温暖な気候に恵まれ、農業粗生産額は大きく、日本の食料供給基地の役割を担っている。地場産業は37業種に及び、特に、伝統技術に支えられた木刀や国の伝統工芸品に指定されている都城大弓(竹弓)は、全国生産量の約9割を誇っている。 | モンゴル国の首都であるウランバートル市は、モンゴル国の総人口の約4分の1に当る約80万人が居住する。市の歴史は1639年のラマ教寺院の建立に始まり、既に360年を経過している。四方を山に囲まれた盆地で、標高1351m、平均気温は7月17.0度、1月―26.1度で、年平均降水量233mmの大部分が夏に集中する。近代的高層住宅や工場と伝統的移動式住居ゲルが共存する大草原の大都市である。 |
姉妹都市交流に係る周辺情報
提携年月日 | 1999年11月22日 |
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姉妹都市提携の経緯 | 都城市とモンゴルとの関係は1993年にモンゴルの遊牧民に風力発電機を贈るという民間の協力活動に始まり、その後様々な民間交流が広がった。1998年8月に都城市長及び議長が同国の首都ウランバートル市を訪問した際、同市及び同市議会より友好都市提携の提案がされた。同年12月、都城市において官民による都城・ウランバートル友好協会が設立され、様々な交流・協力活動を展開している。1999年9月に都城市議会の議決を経て、11月に都城市で、正式な友好交流都市提携に至ったものである。 |
交流事業の展望、課題等 | 1993年に始まったモンゴルに風力発電機を贈る会の活動も10年以上経過し、風力発電機も当初の物より少しの風でも発電できるよう改良されてきている。年1台と数は少なくなったが、風力発電機を贈り続けている。モンゴルの方々も待ち望んでいるようである。モンゴルでの生産は、すぐにとはいかないが、着実に一歩一歩進んでいる。今後も地道な活動を通じて、交流を継続していきたいと考えている。 |
地域の歴史と伝説(百済王伝説)を活用した交流
- 宮崎県 美郷町(旧南郷村)
美郷町(旧南郷村) - 大韓民国 忠清南道
扶餘郡扶餘邑
交流事業の特色
- 親善代表団の派遣、受入れ
- 各団体(商工会、消防団など)の派遣交流
- 中学校の姉妹校締結
- 中学生研修団の派遣、受入れ
- 国際交流員によるハングル講座の実施
- 国際交流員による小中学校での国際理解教育の実施
- 韓国伝統芸能「サムルノリ」の習得
- 扶餘邑にある客舎と同じ「百済の館」の建設
南郷村の師走祭に訪問された扶餘の親善交流団(西の正倉院にて 2005年1月)
南郷・渡川中学校と姉妹校の林川中学校とで共同かかし作り(2004年7月)
交流事業の内容
- 南郷村で毎年旧暦12月に行われている、王子が父王に再会する儀式を二つの神社が合同で行う「師走祭」に扶餘から親善代表団を招請している。また、扶餘と大田市で一年ごとに開催される「百済文化祭」に招待を受け親善代表団を派遣している。
- 村内の商工会や消防団、生涯学習受講生、農業女性グループなど、各種団体を派遣し交流を行った。
- 南郷中学校と渡川中学校の村内ふたつの中学校と、扶餘にある林川中学校とが1994年に姉妹校締結を行い、相互訪問交流を行っている。
- 姉妹校締結をする4年前の1990年から中学生を韓国に研修派遣し、2004年までの15年間の派遣人数は770人に上る。
- 1990年から国際交流員を招致しており、小中学生や一般対象にハングル講座を開講している。また、小中学校での国際理解教室で、ハングルや韓国の文化、習慣等を教えており、ほとんどの子供が簡単なあいさつや自己紹介ができるようになっている。
- 1991年に韓国から4名のサムルノリ指導者を招請し、青年を中心に1ヶ月間指導を受け村内の行事や韓国から訪問客が来村した時などに披露している。
- 扶餘の王宮跡にある客舎をモデルにした「百済の館」を建設し、建物には韓国の丹青師による丹青を施している。韓国の元総理から送られた「金銅龍百済大香炉」のレプリカ等、百済文化を紹介する資料館として公開している。
旧南郷村の概要 | 扶餘邑の概要 | |
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人口 | 2,604人 | 26,865人 |
面積 | 190.23km2 | 58.86km2 |
概況 | 南郷村は宮崎県の西北部に位置し、総面積190.23km2のうち約94%を山林が占める人口2,600人程の山村である。気候は、周囲を取り囲む急峻な山岳の盆地的地形から昼夜の温度較差が大きく、また、降水量は年間3,000mmを越える。就業人口構造は、第1次産業及び第2次産業がそれぞれ3割弱、第3次産業が4割強で、主要産物として、椎茸・ブロイラー・米・肉用牛等がある。 | 扶餘邑はソウルから南に約200km離れた韓半島の西央部に位置し、面積は58.86km2で、人口は約27,000人である。百済の古都である扶餘は韓国国内でも有数の史跡観光地で、国宝をはじめ各種文化財が広く散在しており、いたるところで百済の歴史と息吹を感じられる。主要作物としてスイカ、メロン、ピーマン等が有名である。 |
姉妹都市交流に係る周辺情報
提携年月日 | 1991年9月2日 |
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姉妹都市提携の経緯 | 南郷村には、西暦660年に滅亡した朝鮮半島の百済王族が逃れ住んだという伝説があり、村の中心部にある神門神社に祭神として祀られている。このことを基にした村おこし事業である「百済の里づくり」事業により、1986年から百済の古都である扶餘邑との交流が始まり、1991年に姉妹都市の提携を行った。 |
今後の展望、課題等 | 2006年1月に他の2村と合併が決定している本村にとって今後の交流は種々困難が予想されるが、1986年から始まった交流はまもなく20周年を迎えようとしており、この間の草の根交流により培われた絆は大きなものになっている。これまでのように地に足がついた日韓親善交流が続くことを期待する。 |