姉妹交流活動の参考事例
姉妹自治体優良事例紹介
「Mt.Fuji―Mont Blanc ダブル・サミッツ・チャレンジ」 山を活用した交流
- 山梨県 富士吉田市
富士吉田市国際親善委員会 - フランス ローヌ・アルプ州オート・サヴォア県
シャモニ・モンブラン
交流事業の特色
- 日本とEUの象徴である富士山とモンブラン山(4810m)に相互に同時登頂
- 両市民が相互の更なる友好と産業、観光行政で互いの交流発展を誓い合うイベント
テートルース小屋付近にて
富士山頂にて
交流事業の内容
日本側から、モンブラン登頂にチャレンジしたのは、日本モンブランクラブ会員20名と、市職員の22名。さらに国際観光地として観光産業の交流を促進するために地元ホテル関係者が外客受入れの先進地であるシャモニのホテル関係者と交流を深めた。
22名は2グループにわかれテートルース小屋(3167m)入りしたものの、吹雪のため山頂への登頂は中止となった。しかし、麓で催された交流会は、ミシェル・シャルレ市長はじめ市幹部とシャンタル・ラフマ姉妹都市委員会富士吉田担当委員長や関係者が集って盛大に行われ両市が今後も深く交流していくことを確認しあった。
対して富士山登頂を目指したのは駐日欧州委員会代表部のシルビア・コフラー氏ら日本に住むEUの政府関係者のグループ6名と市職員2名。一行は8月2日午後3時過ぎに富士山五合目の佐藤小屋を出発、八合目の白雲荘に宿泊し、3日朝に山頂に到着した。富士山は天気に恵まれ山頂では美しいご来光のもとEUと日本の更なる友好を誓い、EUと日本の国旗とともに記念撮影を行った。
結果としてモンブラン山は猛吹雪の悪天候に見舞われ山頂から携帯電話によるメッセージなどの交流はできず、関係者は予定事業中止を惜しみつつ、今までの経緯により交流が深まったことに満足し、今後の姉妹都市交流がますます発展していくことを祈念した。
なお、富士吉田市国際親善委員会は、富士吉田市役所国際交流室が事務局となっており、今回のダブルサミッツチャレンジについても、市の国際交流事業の一つとして位置づけられたものである。
富士吉田市の概要 | シャモニ・モンブランの概要 | |
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人口 | 53,695人 | 10,000人 |
面積 | 121.83km² | 245.46km² |
概況 | 山梨県の南東部、日本一の標高(3,776m)と美しさを誇る「富士山」の北麓に位置し、海抜750mの市街地を形成する人口56,000人の高原都市である。 古くから、富士山信仰の町として栄え、御師文化の面影が今も残されてる。 また、明治以降、織物が近代産業として脚光を浴びて以来、政治・経済・文化の面で富士北麓の中核都市としての役割を果たしてきた。 |
アルプスの最高峰モン・ブラン(標高4,810.4m)の麓、標高1,035mのアルプスの谷間に位置し、南側をモンブランとシャモニ針峰群に、北側をエギューユ・ルージュの山々に囲まれている。人口1万人ほどの小さな街ですが、年間150万人の観光客が訪れる観光地である。1924年の第1回冬季オリンピックの開催地でもあり、4ヵ所のスキー場と22kにもおよぶ世界最長の氷河のスキーコースがあるヨーロッパでも有数のスキーリゾートエリアである。 |
姉妹都市交流に係る周辺情報
提携年月日 | 1978年10月9日 |
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姉妹都市提携の経緯 | 1977年フランス政府観光局並びにシャモニ・モンブラン名誉市民である早大教授近藤等氏の仲介によりシャモニ・モンブランとの姉妹都市提携が具体化、シャモニ観光局長ジャン・ブリッソー氏の来日の折、富士吉田市を訪問。東洋の名山富士山とヨーロッパの名山モンブランにいだかれた麓のまちは、それぞれ環境等が似ていることから、共にその誇りとする両山をかけはしとして姉妹関係の話が進み、同年5月フランス政府観光局を経由して姉妹都市提携の市長親書を送付。同年6月にシャモニ市長より提携受諾の形式公文書を受け富士吉田市議会において議決され、提携がはじまった。 |
交流事業の展望、課題等 | シャモニ・モンブラン市と富士吉田市は別掲のとおり当初から富士山とモンブランという山のつながりで交流が始まったものであり、昭和53年の姉妹都市締結より、毎年度途切れることなく相互交流が実施されている。2年後の2008年には姉妹都市締結30周年という節目の年を迎える。今後、更なる草の根レベルでの国際交流の推進が見込まれる。 |
海外姉妹都市相互訪問・受入ホームステイ交流
- 山梨県 南アルプス市
南アルプス市国際交流協会 - ①アメリカ合衆国 アイオワ州
マーシャルタウン・ウインターセット - ②オーストラリア ニューサウスウェールズ州
クェンビャン
交流事業の特色
- 本協会独自の事前研修から一貫したプログラムによる、海外姉妹都市との相互に訪問・受入を行うホームステイ交流事業である。
- 対象者は多感な成長期の中学生とし、希望を募り訪問団を結成する。
- 海外姉妹都市の同年齢の生徒の家庭を訪問し、次年度にその生徒を受入れる。
- 事業を通じ、異文化を学び、海外姉妹都市の生徒との友好を深める。
マーシャルタウン市訪問団がホストスチューデントと一緒にアイオワ州知事を表敬訪問しました。
マーシャルタウン市内において、ゲームにより交流を図る中学生メンバー
交流事業の内容
山梨県内でも海外姉妹都市交流を行っている自治体が数多くある中で当団体は、まず中学生の事業参加希望者の募集を行い、参加者を対象とした事前研修を実施して、姉妹都市への理解を深めることで、しっかりとした目的を自覚し交流事業に参加するといった一貫性をもった事業として市民の理解を得ている。このように、事前学習会から開催し事業を進めるシステムは当協会独特のものである。
参加中学生は、およそ10日間の滞在期間中に、現地の一般家庭にホームステイし、異文化を目の当たりにすることにより、強烈な刺激を受けている。またこのことは、彼等の将来の大きな糧となり、目標を見出す一助となっている。
また、次年度に海外姉妹都市からのゲストをホストファミリーとして受け入れることにより、家族で姉妹都市への関心が高まる。これは、ただ単に語学を学ぶという目的だけでは成し得ることは不可能であり、保護者を始めとする関係者の深い理解と協力が必要になってくる。
当事業がここまで地域の人々に根付いてきた理由は、事業運営を行政主導ではなく、当協会の高い自主性と自立性により積み重ねてきたことに起因するものであり、ボランティア組織の理想的な形態として評価できる。
なお、海外姉妹都市交流を実践する際にあげられる課題は「ことば」の問題である。これを解決するため、南アルプス市では海外姉妹都市から英語指導助手を招聘している。当市中学校での英語指導を始め、当協会では彼等の協力を得て、市民への英会話講座を開催している。参加した多くの市民が言葉の問題を改善する一つの手段となり、言葉の不安が少なくなることで、海外姉妹都市あるいは国際交流への関心度は高められている。
南アルプス市の概要 | |
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人口 | 72,768人 |
面積 | 264.06km² |
概況 | 南アルプス市は、平成15年4月1日に八田村、白根町、芦安村、若草町、櫛形町甲西町の6町村が合併して誕生した。この地域は、山梨県中西部、釜無川右岸に広がる御勅使川の扇状地と、その上流部の南アルプス山系からなる地域で、地理的・地形的に一つのまとまりを形成している。 平成17年の国勢調査における本市の人口は72,072人で、山梨県内では、甲府市、甲斐市についで三番目の規模の自治体である。 旧3町村において、交流のあった3ヶ所の海外姉妹都市とは合併と同時期に新たに設立された本市国際交流協会の協力を得ながら教育・文化等の面において交流を図る。 |
姉妹都市交流に係る周辺情報
提携年月日 | 1992年10月9日 |
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姉妹都市提携の経緯 |
①山梨県知事の紹介により、アイオワ州姉妹都市委員会メンバー並びにマーシャルタウン姉妹都市委員会会長が1988年6月来町し、櫛形町長と面談する中で相互の交流を約束した。1992年6月マーシャルタウンの中学生一行が初めて本町を訪れ、また1993年6月にはマーシャルタウン高校生ジャズバンドが来町した。本町からは1993年7月中学生の第1回マーシャルタウン訪問団を派遣するとともに、同年8月友好都市調査団がマーシャルタウンを訪問した。これら幾多の交流の中、1993年10月櫛形町長をはじめとする友好訪問団25名がマーシャルタウンを訪れ、10月20日、姉妹都市関係樹立に関する協定書に調印した。 ②「日本とオーストラリアの友好と国際理解」の講演会の開催が契機となり、県ラグビーフットボール協会長の石川氏の仲介により提携の運びとなり、1992年7月13日本会議においてクェンビャン市との提携について承認。1992年10月9日クェンンビャン市長一行8名が来村、姉妹提携協定書に調印し姉妹縁組が始まり、以降毎年各種交流が行われている。 |
今後の展望、課題等 | 「対等で共通の利益に」という原則の基に、産業、スポーツ、芸術・文化など、多くの分野において交流及び協力をとおし、相互の繁栄と発展に寄与する。 |
中学生交流派遣事業
- 山梨県
甲州市(旧勝沼町) - フランス ブルゴーニュ州 コート・ドール県
ボーヌ
交流事業の特色
- ワインという共通の特産品を通じ、言語等の障害があるにも関わらず地域特性を生かした交流を行っている。
- 相手側のボーヌ市からも中学生を含めた訪問団が来訪するなど相互理解も進んでいる。
- 国際交流作文コンクールへの応募状況などから、町の施策が、着実に小中学生に浸透していると言える。
http://www.city.koshu.yamanashi.jp/koshu/
歓迎レセプションにおける和太鼓の演奏とボーヌ市中学生の体験
ホームステイ先における書道体験
ハウスブドウ栽培施設の見学
ホームステイ先における書道体験(2)
部活動への交流参加(野球部)
交流事業の内容
山梨県勝沼町と仏ボーヌ市との交流は、勝沼にぶどう栽培とワインをもたらした歴史的背景を踏まえながら、ブルゴーニュという世界的なワイン産地と、勝沼という日本を代表するワイン生産地との共通の特産品・地理的条件を通じ、フランス語でのやり取りなど様々な障害がある中で、地域特性を生かした交流を続けてきた。昭和51年の姉妹締結以後も、農家にボーヌ市からのホームステイを受け入れたり、ワインを通じた民間の交流も行われてきた。
こうした中、平成11年度から毎年30名程度の中学生交流派遣を行い(13年度は米国テロの影響で中止)、ホームステイを通じて住民に根ざした交流を続けてきた中で相互の理解が進み、平成17年2月にボーヌ市側からも初めて中学生訪問団が来町することとなった。
旧勝沼町の概要 | ボーヌ市の概要 | |
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人口 | 9,598人(H16末) | 約2万人 |
面積 | >36.77km² | 約31km² |
概況 | 勝沼町は、甲府盆地の東部に位置し、東京都心から西へ約90kmの辺りに位置しており、戦国時代には武田一族の拠点となった地であった。古来より自然環境に恵まれ、独特の気候風土を生かしたブドウや桃などの果樹栽培と観光産業が大いに発展した。同時にブドウ栽培を活かしたワイン産業も発展し、日本一のワイン産地として、独自の産業文化の育成が進められている。 | ボーヌ市はフランス内陸部、パリの南東約300kmに位置しており、人口約2万人の街である。ボーヌはブルゴーニュ・ワインの特産地として有名で、ワイン醸造の歴史は古くガリア・ローマ時代にさかのぼり、ブルゴーニュ最大のワイン祭りも毎年開催されている。また、ディジョンに都を移す前にブルゴーニュ公の居所のあったボーヌには、モザイク模様の屋根が美しい施療院など歴史を感じさせる建造物も多い。 |
姉妹都市交流に係る周辺情報
提携年月日 | 昭和51年9月18日 |
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姉妹都市提携の経緯 | 明治10年(1877年)に勝沼からの二人の青年がブドウ栽培とワイン醸造の研修のためにボーヌ市へ渡り、その後、昭和48年(1973年)にワイン醸造会社社長から、ボーヌ市と勝沼町の姉妹都市締結が提案され、両首長の間で交流が行われる中で友好の機運が高まり、姉妹締結を結ぶこととなった。 |
今後の展望、課題等 | 平成17年11月に合併により新市になる予定であるが、今後も中学生交流派遣事業を中心に交流を展開していく予定。また、平成18年度の姉妹締結30周年を控えて記念行事の開催も計画したい。 |