山脇啓造
筆者は、2000年頃から旧横浜市立いちょう小学校を中心とする横浜市上飯田地域でフィールドワークを始めました。1999年3月に読んだある新聞記事がきっかけでした。その記事の見出しは、「外国の子増えた、また増えた 神奈川・いちょう団地」で、神奈川県営いちょう団地にある私立いちょう保育園といちょう小学校で外国につながる園児や児童が急増したことが報じられていました(朝日新聞1999年3月22日朝刊)。その記事の最後には、瀬野尾千恵同校校長(当時)の「地域に根差した学校づくりの中で、学校を『共生』の発信基地にしたい」というコメントが載っていました。そこで同校を尋ねたところ、多文化共生社会をめざした学校づくりについて瀬野尾校長と意気投合しました。
実は、私はいちょう小学校の隣接校である上飯田小学校の卒業生で、もう一つの隣接校である飯田北小学校も含めて、小学生の時にお世話になった先生方と再会することができました。そんなこともあり、いちょう小学校や同校が学区とするいちょう団地に頻繁に通うこととなりました。
学校教育や日本語教育の専門家でもない私を、いちょう小学校の先生方は温かく受け入れてくれました。国際教室担当の金子正人教諭(当時)を始めとして、先生方は明るく元気で、校内は活気にあふれていました。私は卒業式が終わった後の一泊二日の打ち上げにも参加させてもらいました。小学校は校長の裁量が大きく、校長が交代すると校内の雰囲気も変わることが多いのですが、2002年1月に着任した服部信雄校長も多文化共生をめざした学校づくりや地域との連携に積極的でした。
2003年10月に、地域の3校と上飯田中学校を加えた上飯田地区4校連絡会の「外国人多数在住地区における多文化共生の学校づくり・地域づくり」が、全国のユニークな教育実践を表彰する博報賞(文部科学大臣奨励賞)を受賞しました。それをきっかけに、学校や地域の皆さんにご協力いただき、『多文化共生の学校づくりー横浜市立いちょう小学校の挑戦』(明石書店、2005年)という書籍をつくりました。その本では、多文化共生の学校づくりを進める上で、校長のビジョンとリーダーシップ、多文化共生をめざした授業づくり、学校と地域の連携が重要であることを強調しました。
それから、14年が経ち、東京学芸大学教職大学院の特命教授となった服部前校長と一緒に、いちょう小学校と飯田北小学校が統合してできた飯田北いちょう小学校(泉区)、潮田小学校(鶴見区)、南吉田小学校(南区)、横浜吉田中学校(中区)の4校に加え、教育委員会や国際交流協会、市民団体等にご協力いただき、今年3月に『新 多文化共生の学校づくりー横浜市の挑戦』(明石書店)をつくりました。前著では、一つの小学校と地域に焦点をあてましたが、今回は、4つの学校を取り上げるとともに、横浜市全体に焦点をあてました。
国際教育の第一人者で、文部科学省の検討会の座長を長く務めてきた佐藤郡衛明大教授からは、「外国につながる児童生徒が増加の一途をたどる横浜市。多文化共生の教育の実現に向けて学校と地域が一緒に取り組む姿を生き生きと描いた好著。」と推薦の言葉をいただきました。この本が広く読まれ、全国の地域で多文化共生の学校づくりが進むことを願っています。