山脇啓造
昨年12月に中国武漢市で新型コロナウイルス感染症(新型肺炎)の発生が確認されて以来、世界中で感染者が増加し、国際社会は危機的な状況を迎えています。日本でも、1月半ば以降、全国各地での感染事例の報道が続いています。特に、2月初めに横浜港に停泊したクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」は、3711人の乗客・乗員のうち700人を超える感染者が確認され、乗客・乗員の中には、56か国・地域出身の約760人の外国人が含まれていたこともあり、世界的な関心事となりました。世界保健機関(WHO)は、1月30日に緊急事態を宣言し、2月28日に世界的な危険性の評価を最高レベルに引き上げました。さらに、3月11日には、新型肺炎がパンデミック(世界的大流行)となったことを宣言しました。
新型肺炎に関する最新情報は、厚生労働省のホームページに掲載されてきましたが、日本語での情報発信が中心でした。ホームページの外国語版(英語、中国語、韓国語)は機械翻訳によるもので、2月に入ってから誤訳の多さが複数の国内メディアで指摘されました。その後、同省のトップページには、英語と中国語の新型コロナウイルス感染症の特設ページへのリンクが貼られ、翻訳者によって訳された文章が掲載されるようになりました。
一方、法務省が2019年4月に立ち上げた「外国人生活支援ポータルサイト」には、厚生労働省の新型肺炎関連ホームページへのリンクとともに、同ホームページに掲載されている基本情報の一部をやさしい日本語に翻訳した文章が掲載されています。やさしい日本語とは、日本語学習者のためのわかりやすい日本語のことです。また、自治体国際化協会が設置した「多文化共生ポータルサイト」へのリンクも貼られています。同ポータルサイトには、自治体や国際交流協会等が新型肺炎に関する基本情報や感染予防・拡大防止の情報を提供するための多言語(やさしい日本語を含めた17言語)のテンプレートが掲載されています。
2月25日に政府の新型コロナウイルス感染症対策本部(本部長・安倍晋三首相)が対策の基本方針を決定しました。基本方針には、「国民・企業・地域等に対する情報提供」という項目があり、「国民、外国政府及び外国人旅行者への適切迅速な情報提供を行い、国内での感染拡大防止と風評対策につなげる。」と書かれていますが、国内に暮らす約280万人の外国人への言及はありません。
基本方針には、発熱等のある人は、まず、各都道府県が設置した帰国者・接触者相談センター(各自治体の保健所)に電話し、感染の可能性がある場合は、同センターが指定する帰国者・接触者外来で検査を行い、必要に応じて入院措置を行うことが記されています。はたして、日本語が十分に話せない外国人住民が地域の保健所に電話で相談できるでしょうか。名古屋市は、1月28日から、外国人住民が各区の保健所に電話をした際に名古屋国際センターが電話通訳(8言語)をトリオフォンで提供しています。また、佐賀県は、3月初めに18言語で応じる専用ダイヤルを設け、帰国者・接触者相談センターへの電話相談の通訳サービスを始めました。一方、全国で最も外国人住民の多い東京都では、帰国者・接触者相談センターとは別に、一般相談窓口として設けた「新型コロナコールセンター」が日本語、英語、中国語、韓国語の4言語で対応しています。
新型コロナウイルス感染症対策本部は、3月10日に緊急対応策(第2弾)を策定しました。2月13日の第1弾では、「国民及び外国人旅行者への迅速かつ正確な情報提供」が掲げられていましたが、第2弾では、「在留外国人、外国人旅行者に対して、多言語で適切迅速な情報提供を行うことに加え、地方公共団体が設置する一元的相談窓口において、在留外国人に対して新型コロナウイルス感染症に関する情報提供や相談対応を多言語で行うための特別な体制をとる場合に要する経費について、各地方公共団体に対する交付限度額(運営費)を倍額まで増額する」ことが示され、ようやく在留外国人への配慮が含まれました。
日本政府は2019年4月に出入国管理に加え、外国人支援や共生社会づくりを担う出入国在留管理庁を法務省に設置し、今年度、全国の150近い自治体の外国人のための多言語(11言語位上)相談センターの設置や運営の支援を始めるとともに、各府省庁も情報の多言語化の取り組みを始めました。今年の夏には、全国の相談センターをサポートする国の「外国人共生センター(仮称)」が都内に設置される予定です。
実は、自治体の中には1990年代から多言語化に取り組んできたところもあります。2001年に外国人労働者の多い自治体が集まって設立した外国人集住都市会議では、長年、社会保障と税など国の制度や災害や感染症発生時の全国共通の情報については、国の責任で多言語発信することを求めてきました。これまで、政府による多言語情報の発信がない場合、外国人住民の多い自治体や国際交流協会などが翻訳してきましたが、全国共通の情報を各地で翻訳するのは非効率ですし、情報の正確性の面でも問題があることはいうまでもありません。
新聞報道によれば、当初、厚労省の情報開示の遅れが海外メディアに批判され、2月から、外務省が厚労省の日本語の報道資料をそのままPDFで海外メディアに配信するようになったようです。本来、厚労省が日本語版と同時に英語版の報道資料を作成するのが理想的です。今回の対策の基本方針は、1週間以上経って、ようやく英語版が公表されたようですが、せめて基本方針と同時に概要版(日本語)を作成し、直後に概要版を英語に翻訳するのが望ましかったのではないでしょうか。
今こそ、政府の外国語での情報発信を推進するため、どのような体制のもとで、どのような情報をどの言語(やさしい日本語を含む)で発信するのか基本指針を策定すべきでしょう。政府のどの部署が府省庁の外国語での情報発信を監督・推進するのか、国と自治体の役割分担をどうするのか、通訳・翻訳者と機械翻訳をどう使い分けるのか等、基本的な考え方を整理する必要があります。国が設置予定の共生センターの位置づけも重要で、自治体が活用できる多言語通訳・翻訳センターの機能を持たせることが望ましいといえます。
言語に関しては、対外的には英語のニーズが高いことは言うまでもありませんが、医療や災害など生命に関わる情報は外国人住民に向けた多言語化のニーズが高いと言えます。そもそも、多言語化するには、元の文書が平易な日本語であることが必要です。また、外国人旅行者向けの多言語コールセンターの活用や各国大使館との連携も検討に値します。
政府は早急に新型肺炎の情報発信や相談の多言語化の仕組みを定めるべきでしょう。日本がこの夏にオリンピック・パラリンピック競技大会を開催し、世界中から訪問者を迎えたいのであれば、必須といえます。その経験をもとにより一般的な多言語化の指針を策定することを期待します。
*2020年3月10日付のThe Japan Timesに掲載された拙稿 "Japan must provide multilingual information on COVID-19." を日本語に翻訳し、加筆修正したものです。