2020年8月28日の閣議後に開かれた森まさこ法務大臣の記者会見で、「在留支援のためのやさしい日本語ガイドライン」についての報告がありました。森大臣は、「国や地方公共団体が外国人向けに情報発信を行う際に,やさしい日本語を用いるよう、文化庁とともに、『在留支援のためのやさしい日本語ガイドライン』を策定いたしました。このガイドラインは,やさしい日本語の必要性とその作成手順を示すことで,やさしい日本語の普及を図り,日本に住む外国人に国や地方公共団体等が発信する情報が届くようになることを目指すものです。」と述べました。やさしい日本語とは、「難しい言葉を言い換えるなど、相手に配慮したわかりやすい日本語」を指します。
ガイドラインの概要
ガイドラインは、4つの章から構成されています。第1章では,外国人住民の増加と出身国の多様化について説明し,外国人の言語ニーズに関する調査報告などを踏まえ,やさしい日本語の必要性について説明しています。第2章では、やさしい日本語で文章を作成する際の3つのステップについて説明しています。第3章では、やさしい日本語で文章を作成する際に参考となる書き換えツールを紹介し、第4章では、やさしい日本語の変換例と演習問題を掲載しています。また、「やさしい日本語 用語書き換え例」が別冊として添付されています。
ガイドラインの策定にあたって、出入国管理庁と文化庁は今年2月から7月まで4回の有識者会議を開催しました(第2~4回はオンライン)。やさしい日本語の研究者が3名、地方自治体やNPOなどの実務者が3名参加し、筆者は座長を務めました。
やさしい日本語は、1995年の阪神・淡路大震災の時に、外国人住民が情報弱者となったことから、災害時の情報伝達の手段として、その研究が始まりました。2000年代には、自治体による平時の外国人住民への行政・生活情報においても活用されるようになり、近年は外国人観光客とのコミュニケーションにおいても用いられるようになりました。また、大阪市生野区のように、やさしい日本語によって、日本人住民と外国人住民のコミュニケーションを活発にすることを狙った取り組みも始まっています。さらに、総務省と厚生労働省が設置したデジタル活用共生社会実現会議の報告書(2019年3月)には、機械翻訳において、日本語の文章をやさしい日本語に変換してから翻訳することで翻訳精度が向上することが示されました。
今回のガイドラインは、やさしい日本語で文章を作成する際に、まず「日本人にわかりやすい文章」に書き換え、次に「外国人にもわかりやすい文章」にさらに書き換えることを示したことが最大の特徴と言えます。その背景として、そもそも国や自治体の文書の多くが日本語母語話者にとっても難解で、一度読んだだけでは理解が難しいことがあります。実は、政府は1952年に「公用文作成の要領」を策定して以来、一度も改訂しておらず、公用文における実態や社会状況との乖離が大きくなっています。要領の見直し作業は現在進行中ですが、今回のガイドライン策定によって、見直し作業が加速することを期待しています。
今後の課題
今回のガイドラインは、書き言葉に焦点をあてたものとなっていますが、実は、やさしい日本語は話し言葉としても有効です。「やさしい」には、「易しい」だけでなく、「優しい」という意味も込められています。つまり、外国人や障がい者、高齢者等に対して、その言語背景や日本語能力等に配慮して、「優しい」気持ちで話しかけることが重要です。今後、大阪市生野区のような取り組みが他の自治体にも広がることが期待されます。
また、外国人住民の情報伝達においては、何よりもまず多言語化の取り組みが重要であり、やさしい日本語の活用が多言語化にブレーキをかけることがあってはなりません。ガイドラインにも、「やさしい日本語の取組を進めることと同様に、多言語での情報の提供や、外国人の日本語学習の機会の確保が重要であることは、言うまでもありません。また、コミュニケーションの導入としてやさしい日本語を使い、複雑なことを伝える際は、多言語化された資料を用意するなど、使い分けも必要です。」と記されています。
「外国人材の受入れ・共生のための総合的対応策」(2018年12月)で、「行政・生活情報の多言語化」の方針が示されて以来、国そして自治体の多言語化の取り組みは一気に進んできました。一方、情報の多言語化に関して、国と自治体の役割分担が不明確であることも指摘されています。
外国人労働者の多い自治体が集まって2001年に設立した外国人集住都市会議では、長年、社会保障と税などに関する国の制度や災害や感染症発生時の全国共通の情報については、国の責任で多言語発信することを求めてきました。これまで、政府による多言語情報の発信がない場合、外国人住民の多い自治体や国際交流協会などが翻訳してきましたが、全国共通の情報を各地で翻訳するのは非効率ですし、情報の正確性の面でも問題があることはいうまでもありません。
今こそ、府省庁の取り組みを総合的に推進するため、どのような情報をどの言語(やさしい日本語を含む)で発信するのか、そして国と自治体の役割分担をどうするのか、国としてのガイドラインを策定すべきでしょう。自治体の中には、多言語化の指針を策定するところが増えつつあります。指針策定の際の基本的な考え方として、短期滞在者や来日間もない外国人住民には情報を多言語で提供し、定住者には日本語教育を推進することが望ましいでしょう。一方、滞在の長短にかかわらず、医療や災害など生命に関わる情報は多言語化のニーズが高いと言えます。また、国として、特に国内在住者が相対的に少ない外国人の言語に関する通訳体制を整備し、自治体が活用できるようにすることが期待されます。
最後に、外国人住民への日本語教育の課題があります。2019年6月に「日本語教育の推進に関する法律」が制定され、2020年6月には、「日本語教育の推進に関する施策を総合的かつ効果的に推進するための基本的な方針」が策定されました。そこには、「『ヨーロッパ言語共通参照枠』を参考に,日本語の習得段階に応じて求められる日本語教育の内容・方法を明らかにし, 外国人等が適切な評価を受けられるようにするため,日本語教育に関わる全 ての者が参照可能な日本語学習,教授,評価のための枠組みである『日本語教育の参照枠』を文化審議会国語分科会において検討・作成する」ことが示されました。ドイツや韓国、オーストラリアなど諸外国では、定住外国人や移民のための言語教育プログラムが国の責任で実施されています。その中で、どのレベルの言語能力をめざすのかが示されています。こうした言語教育プログラムがない中で、やさしい日本語の普及を図ることは、外国人はやさしい日本語が理解できればそれで十分という誤ったメッセージと受け取られるかもしれません。外国人住民が「自立した言語使用者として日本社会で生活していく上で必要となる日本語能力を身に付け」(同方針)ることができるように、早急に国による日本語教育プログラムを起ち上げることが望まれます。
法務省:在留支援のためのやさしい日本語ガイドライン
http://www.moj.go.jp/nyuukokukanri/kouhou/nyuukokukanri15_00026.html