公益社団法人国際日本語普及協会(AJALT)理事長 関口明子
地域国際化推進アドバイザー 坂内泰子
坂内 今日は先生と「やさしい日本語」の話をさせていただきます。このごろよく知られるようになりましたね。
関口 実際には、かなり前から、「外国人にはわかるように話をしてください」と伝える場面はあったんですよ。「やさしい日本語」の説明というと、大概、1995年の阪神淡路大震災あたりから始まりますよね。
坂内 ええ、震災で被災した外国人に情報提供をしようにも、英語の通じない人が多く、かつ多言語だったことがきっかけとされています。外国人の死亡率が日本人に比べて高かったことも、外国人への情報伝達の再検討につながり、「やさしい日本語」という考え方が生まれ、災害応援に入る自治体職員などが活用しはじめ、今に至るという流れです。
関口 その流れができたことは本当に素晴らしいことだと思います。その件で少しお話しますが、JITCO(国際人材協力機構)ってありますでしょ、あそこが出来たのが、阪神大震災より少し前の1991年なんです。それまで日本にはJICAなどが受け入れた高学歴研修生はいましたが、多くの省庁が協力し合ってJITCOができ、ブルーカラーの技術研修生(現 技能実習生)を受け入れることになったのです。高等教育を受けていない人も多く、そういう人に対する日本語教育の教科書はなかったのです。それで厚生省 に、当時 のAJALT 理事長の西尾が呼ばれて「AJALTさんは難民の日本語教育を担当していますよね。今度受け入れる技術研修生の研修現場は工場がメインですので多分難民の人たちと同じ環境だと思います。それで、ぜひブルーカラーの研修生に対する教科書を書いてほしい。それもできるだけ早く。できますか」と言われました。西尾がすぐに承知したため、AJALT会員の品田と私は突貫で教科書を書きました。ちょうどその前に難民の人たちの雇用主へのアンケート調査をしたことが、参考になりました。
もう30年近く前ですが、JITCOではさっそく日本各地で日本語セミナーを実施しました。私もそのセミナーで継続的に何年も講演していました。そこで「わかりやすい日本語」とはどんな日本語かということをお話し続けました。具体的に一緒にわかりやすい日本語に直したりしました。例えば、〈文は短く、大切なことは最初に言う、二重否定はだめ、など〉は、実際の文を使ってそこで作ったり、直したりしました。「やさしい日本語」のはじまりより少し前ですね。
このセミナーの主な対象は、監理団体の方々や研修生が実習を開始してからの日本語指導を実施している企業の方々です。これは企業に行く前の集中研修の事例ですが、午前4時間の日本語研修終了後、午後技術研修になっていましたので、よく見学させていただきました。
技術指導の先生は、外国人に日本語がどのくらいわかるかということには不案内です。その日の技術指導の要点を板書されて、そこには仮名が振ってありますが、文章は「本日の研修は次の通りですが、考えようによっては少し難しいですから、しっかり覚えることが大切です」のように長い文が続いています。「よく見てください」と言って身振り手振りをつけて、「このようにしてはいけない」と説明を終えられました。続いて「それでは皆さんやってください」となるのですが、研修生は身振りで示された、してはいけない動作を全員で一生懸命真似るわけです。このときはさすがに、終了後に「悪い見本のご説明はやめたほうがいいです。覚えてほしい、してほしいことだけを動作で見せてください」と申し上げました。
坂内 そうですか、外国人だけでなく、受け入れの方も大変でしたね。日本語セミナーの回数も限られていたでしょうし・・・。
関口 そうなんですよ。「彼ら(研修生)にわかるようにやさしく言ってください」とお願いしても、どうすれば「わかるように」「やさしく」できるのかは容易ではありません。「わかるように」「やさしく」することは、普段の日本語を変えることであり、それこそ日本語教育が扱っていることなんです。
日本語母語話者は、就学時には既に年齢相応に日本語は自由に話せます。でも意識的に学んではいません。それは成人になっても同じです。「リンゴがほしいの。ミカンはいらない」と言えても、なぜ「リンゴが」なのか、「みかんは」なのかは聞かれてもわからないし、それが難しいとは気付けません。
日本語教育とは母語話者にとっては無意識に獲得した部分、つまり意識的に学習していない部分を顕在化して理由付けする学問なのです。ですから日本語教育に携わっている人間は、いわゆる「やさしい日本語」をずっと考え続けているといってもいいと思います。今回の「やさしい日本語」現象は、日本語教育がどんなことをしているか、一般の日本人が知る、一種の啓蒙の機会だといってもいいと思います。
坂内 確かに、日本語教育の扱っていることがわかってもらえますね。 非母語話者を意識したわかりやすい表現が、一般の方にはそれほど簡単に思いつけるものばかりではなさそうです。「送ってもらった」「書いてくれた」などの、いわゆる「やりもらい」表現なども、日本語独特だとは気付けないでしょうね。受け身、使役ならまだしも・・・。
非母語話者にも伝わりやすい表現にする方法を、きちんと説明しようとすると、項目が増えて煩瑣ですし、そうなると外国人と日本語で話してみようという意欲が後退しますから、そこはジレンマですね。
「やさしい日本語」は言い換えだと捉える人が多いのですが、それは違うと思います。コミュニケーションには必ず固有の場面や状況がありますから、それで伝わる部分がかなりあります。それに「わかりやすさ」も相手によってさまざまです。相手の日本語力だけでなく、漢字でわかる漢字圏の人と、そうでない人とは大きく違います。ですから、その場に応じた調整をして、日本語を使えることが「やさしい日本語」ではないでしょうか。
関口 そうなんですよ。でも、じゃあ、その調整って、具体的にどうしたらいいの?となると、日本語の構造を知らないと、うまくいきません。それに「わかりやすさ」が多様だということも、誰でも知っていることではありません。ここは、日本語教師ならではの社会貢献ができる部分です。外国人に日本語指導をするだけでなく、日本語母語話者に対して、日本語教育を理解してもらう、つまり、母語話者が無意識で獲得している部分を意識化し、顕在化して学んでもらえば、外国人と交流する際、日本語を使ってわかりやすく伝え合えるようになるのではないでしょうか。
昨今、「やさしい日本語」という一つの塊が突然生まれて、世の中を独り歩きしているような気がして少し心配です。もちろん、反対しているんじゃないんですよ。外国人は英語じゃないとダメだ、と思い込んで、話しかけられるとコソコソ逃げてしまうような人が減れば、とてもいいと思いますし、外国人も覚えたての日本語が使える場面が増えれば、素晴らしいことだと思います。
坂内 おっしゃる通りですね。日本語の構造を知らないと、わかりやすくすることもなかなか思い通りにはいきません。その一方、語彙に話題が及ぶと、役所の用語がよく取り上げられます。役所での「やさしい日本語」研修を何度もさせていただき、わかりやすく応対したいという、公務員のみなさんの姿勢は、理解できているつもりなのですが、基本的なところでも、難しい用語が多いです。書面の交付、支給要件、給付、猶予・・・いまだに補助金と助成金がどう違うのか、私にはよくわかりません。
関口 このごろは発出などという言葉も通常の記者会見等で聞きますよね。
坂内 役所では、個々の手続きに、法律に則った正確さが求められますから、「交付します」を「あげます」とは言えません。あるとき、税金を督促する際の通じやすい表現を聞かれたので、「『払ってください』じゃいけませんか」と申しましたら、税金は納めるものであって、払うものではないと教えられました。そうは言っても、通じることを優先すれば、「払う」が一番です。結局「『納めてください、払ってください』と続けてはどうでしょう」とお答えしたのですが、どうなさったことか。
関口 お役所言葉については、日本語自体を変える取り組みが必要ですね。法律の制約もあるでしょうが、それでも変える方向で動かなくてはいけないと思います。
坂内 母語話者なら、質問もしやすいですし、わからないのは、説明が悪いせいだと思います。しかし、非母語話者は、わからないときには自分の力不足を思い、質問もためらいがちです。
関口 非漢字圏の人が、役所や学校でもらう、漢字かな混じりの書面を一人で読んで理解して記入するのは、本当に難しいことです。そのもとの日本の制度もわかりませんし。
坂内 住民票の写しをもらうときの書類は、必要な事項が押さえてあれば、書式は自治体に任せられているそうです。ですから、 自治体ごとに異なっていますが、わかりやすい工夫をしている自治体のものがもっと共有されればいいのに、と思います。
関口 それに限らず、日本の社会で生きる人には、国籍も母語も関係なく、公的な情報が必要です。医療、防災、役所、学校など、意識して表現を見直してもらいたいですね。
言葉は生きるためのものなのですから、わかりやすさを作る時点で、もっと専門家が貢献すべきだと思います。日本語教師もそうですし、さまざまな現場で仕事をされている方の知恵も必要です。
坂内 「やさしい日本語」に注目しすぎて、言葉の選択だけに目が向いてしまうのも気になります。
関口 日本語の指導も、最初は言葉に頼らず、ツールを使って理解してもらって進みます。共通の言葉が不足しているとき、写真やイラスト、実物など目で見てわかることは欠かせません。
「やさしい日本語」という言い方は、心が「優しい」と形が「易しい」で、すっと頭に入るいい言葉です。それだけに、しっかり中身を問わないと、安直な置き換え作業だと誤解されかねません。本当に伝わるわかりやすさを、丁寧に作らなくてはならないのです。
坂内 最近は医療現場の「やさしい日本語」を研究する方たちが、動画を採用しておられます。技能実習の現場でも、活用されているのでしょうね。
関口 ええ、ベトナムで技能実習生候補者に日本語を教えている日本語教師に、AJALTでも日本語指導用の動画を作って送りました。ほかにもいろいろなものが出てきましたね。
坂内 スマホの自動翻訳が100近い言語をカバーしています。コミュニケーションの現場には、それぞれ目的や状況がありますから、そうした情報と相まって自動翻訳がよく役に立つ現場もあるはずです。
関口 自動翻訳は、いつの間にか、ずいぶん言語数が増えていますね。それなら、それを上手に使えるようになれば、助かる人が増えます。活用できる部分は積極的に利用すればいいですね。とはいえ、翻訳機に「わかりやすく」言わないと、正確な翻訳が出てきませんから、「わかりやすさ」をどう作るかは、外国の人たちとともに暮らす社会の課題として、考えていく必要があります。
坂内 そうですね、これまで、日本の社会では、正しい敬語や、場面ごとの適切な口上などに、ずいぶん気を配ってきました。ともすれば合言葉のようなやりとりまで見受けられます。でも、そういう母語話者限定のような形式を、今後も文化として守っていく苦労は、ほどほどでいいような気がします。
関口 そのとおりです。配慮する方向を少し変えていくと、豊かなものが得られますよ。文化の異なる人は異なる体験をしてきているだけに、私たちとは違った視点や視野の広さを持っています。そういうものを積極的に取り込めるように、一人一人が、お互いがわかりあえるコミュニケーションを心がけていくといいと思います。
今ならば、パンデミックという共通の課題を克服するための対話ができそうです。ともに暮らす、ともに生きる、ともに社会を作るとは、お互いに持てる知恵を出し合い、理解し合って未来に向かうことだと思います。
坂内 この国に住むのは日本語母語話者だけではない、ということを踏まえて、ユニバーサルな「わかりやすさ」のためにコミュニケーションの工夫を重ねないといけませんね。「やさしい日本語」も、もちろん大切な手法です。これからのコミュニケーションの形がどうなっていくのか、ちょっとわくわくします。
関口 ともに作る「わかりやすさ」こそ、多文化共創の土台ですね。
対談者プロフィール
関口明子
公益社団法人国際日本語普及協会(AJALT)理事長
長年にわたり、地域の日本語ボランティア養成講座、学校関係者への研修講座、技術研修生への日本語教育の講師やコーディネーターを務める。日本語ボランティアと連携し、地域の子どもの日本語教室、親子日本語教室を実施する。
坂内泰子
地域国際化推進アドバイザー、神奈川県立国際言語文化アカデミア元教授、多文化社会研究会理事
神奈川県内で、日本語ボランティアの養成や外国籍県民への日本語教育に携わるとともに、公務員への「やさしい日本語」研修に従事。
~~~~~~多文化研HAIKU会~~~~~~
~今月の一句~
笹の葉に 掛けた願いが 風に舞う
チョウチョウソー
幕張駅前の七夕の笹竹に願いを書いた短冊を掛けられた由、リズム、季節感、詩情の三拍子が揃った佳句だと感じ入りました。 それから1年、ミャンマー出身の作者の願いの行方に思いを馳せると、複雑な気持ちにならないではいられません。