帝京大学経済学部国際経済学科専任講師 伊藤寛了
ウクライナ危機においてトルコが担う仲介役に注目が集まっています。ロシアによるウクライナ侵攻開始直後からトルコはロシアとウクライナとの会談を仲介し(より正しくは侵攻前からロシアの説得にあたり)、最近ではウクライナからの穀物を世界に輸出すべく、ロシアや国連と調整の上で黒海の「出入口」に位置するトルコが中継地となる「穀物回廊」が実現しました。ではなぜトルコはロシアとウクライナの仲介役を引き受けているのでしょうか。様々な側面があり一概にはいえませんが、トルコにとってロシアもウクライナも重要な国であり、両国との良好な関係を維持することがトルコの国益に寄与するからです。
例えば、トルコが輸入する小麦の80%(2020年)、ひまわり油の65%(2019年)を両国からの輸入が占めています。また2021年のトルコへの観光客数に関してもロシアが470万人で1位(19%)、ウクライナは200万人で3位(8.34%)でした。さらに建設業においても、ロシアからの請負額は2019年から21年の3年で約220億ドル、ウクライナからも約30億ドルとなっており、両国がトルコにとって重要な貿易相手国であることが分かります。しかしトルコと両国の関係は経済面に限定されるわけではありません。
2015年、トルコがシリア国境地帯でロシア戦闘機を撃墜するという出来事があり、両国間の外交・経済関係が冷え込みました。それから2年後の2017年、トルコのエルドアン大統領はロシアからミサイル防衛システム(S-400)の購入に署名したと発表し、2019年に納入が始まりました。ロシアが敵視するNATO加盟国であるトルコの行動に対し、NATOは安全保障上の懸念が示され、トランプ米大統領はトルコへの経済制裁や戦闘機引き渡しの拒否を求めました。同じ頃、トルコはウクライナとの間で軍用ドローン(バイラクタルTB2)の売買を決定しました。このドローンは今般ウクライナがロシア軍の侵攻に対して使用し、その性能と有効性が評価されています。また侵攻直前の本年2月3日、エルドアン大統領がウクライナを訪問し、両国間で次世代ドローンの共同生産や宇宙産業分野での協力を含む8つの合意が調印されました。このようにロシアとウクライナは安全保障の面でもトルコにとって重要なパートナーなのです。
クリミア・ハーン国住民の子孫であるクリミア・タタール人はトルコ系民族で、旧ソ連地域やトルコなどに暮らしています。ハーン国は1457年にオスマン帝国の宗主権下に置かれ、1783年にロシアに併合されました。それ以降、クリミア・タタール人はオスマン帝国に集団で移住し始め、クリミア戦争や露土戦争の際にも多くの移民が発生しました。タタール人を移民として庇護し受け入れたオスマン帝国は、避難所や住居、食料を提供したほか、税や兵役を免除し、(本国での主な職業であった)農業に従事するための耕作地や農機具を提供(就労支援)したり、また移民を支援するよう地元住民の説得にあたったりするなど、さしずめ現在の「難民保護」、あるいはそれ以上の支援を実施していました。オスマン帝国がクリミア・タタール人を受け入れたのは、クリミア・ハーン国の宗主国であったことに加え、タタール人がムスリムであり帝国への忠誠心も厚く受入れにあたり支障がないこと、また戦争で兵員が不足していたオスマン軍の一員としての活躍を期待したことなどが理由でした。他方で居住先については、当初は現在のブルガリアやルーマニアのドブルジャ(ドブロジャ)地域、その後帝都イスタンブールやアナトリア地域などに(一大勢力となることを避けるため)分散して定住させました(注1)。
2022年8月、エルドアン大統領はクリミア・タタール人の安全はトルコにとって優先事項であると発言し、ウクライナから避難するクリミア・タタール人への長期滞在許可(在留期限なし)の交付が開始されました(注2)。同許可を得るには8年続けてトルコに居住することが必要ですが、クリミア・タタール人は他のトルコ系移民と同様にそうした要件は求められていません。このような移民受入れにおけるトルコ系民族重視に関しては定住法にも記載があり、トルコの移民政策の民族主義的な側面として知られています。報道によれば、クリミア・タタール人の他にもウクライナから逃れてきたトルコ系のメスへティア・トルコ人が保護されています。トルコはウクライナからの避難民を難民としては受け入れていませんが、侵攻から約1ヶ月後の3月21日にソイル内相が5万8千人、また約2ヶ月後の4月25日にはエルドアン大統領が8万5千人超のウクライナ人がトルコに入国したと語っています。
ウクライナ侵攻後、トルコでロシア人とウクライナ人による住居の購入数が増えています。トルコ統計機構によると、2021年のロシア人のトルコでの住居購入数は5,379戸で、10,056戸のイラン人と8,661戸のイラク人に次いで3位でした。この順位は2022年3月まで変わりはありませんでしたが、2022年4月にロシア人が1位となり、利用できる最新のデータである9月の統計では2位のイラン人の購入数(592戸)の倍以上の1,196戸となっています。またウクライナ人による住居購入数を見てみると、2021年は13位だったのが2022年には上位10位に入り、7月は5位、8月と9月は6位となっています。この増加の背景には、40万ドル(5月までは25万ドル)以上の不動産を購入するとトルコ国籍を取得できるということがあるように思われます。
トルコは約400万人の難民を受け入れる世界最多の難民受入国で、その多くを一時保護制度により受け入れられたシリア難民(約360万人)が占めています。難民の多くは家賃が安い地区に集住する傾向がありますが、トルコ政府は2022年2月、そうした地区における地元住民と難民との間の緊張緩和や「ゲットー化」を予防することを理由に、1つの地区に居住できる外国人の比率を25%以下にすること(クオータ制)を発表しました。これにより81県中54県781地区でシリア難民を含む外国人の新たな居住(住民登録)が禁じられました。続く7月には20%への引き下げと、対象地区の拡大(1200地区)が発表されました。こうした措置が実施されるに至った契機の1つは、2021年8月に首都アンカラのアルトゥンダー地区で発生した、地元住民とシリア難民との間の大規模な衝突事件だと考えられます。同年9月には同地区にある、シリア難民が主に居住する建物の解体と難民の立ち退きが政府により決定されました。この結果、離職を余儀なくされた難民もいます。NGOが再就職を支援するものの、仕事を見つけるのは容易ではないといいます。反難民感情の高まりの背景には、トルコの経済状況の悪化(リラ安、高インフレ、高い失業率など)があるとみられ、また来年2023年に控える大統領選を前に野党が難民のシリアへの送還を掲げるなど「難民の政治争点化」も国民の反難民感情を煽っているといえます。
ウクライナの独立を支持(ロシアによる侵攻には反対)するとともに、ロシアによる2014年のクリミア併合および今般の4州の併合は認めないという立場を取る一方で、ロシアへの経済制裁には加わらず、両国の仲介役を担うトルコの方針の背景には以上のような経緯がありました。一方で、両国からトルコに逃れてきた人たちのウェルビーイングを考えると、民族主義的移民政策やクオータ制の導入、難民問題の政治争点化などは懸念材料です。本コラムでは触れることはできませんでしたが、トルコ政府としても外国人との共生は課題であると認識しており、国連機関などと連携しながら交流プログラムなどを実施しています。そうした取り組みがトルコにおける多文化共生と共創に繋がり、ウクライナ危機により移動を余儀なくされた人々のウェルビーイングに裨益することを期待しつつ、本コラムを終えることにいたします。
著者プロフィール
伊藤寛了
帝京大学経済学部国際経済学科専任講師。在トルコ日本国大使館専門調査員、公益財団法人アジア福祉教育財団難民事業本部(RHQ) などを経て現職。専門分野は、トルコ地域研究、難民・強制移動研究。関連する業績として、伊藤寛了(2019)「トルコにおけるシリア難民の受け入れ:庇護、定住・帰化、帰還をめぐる難民政策の特質と課題」小泉康一(編)『「難民」をどう捉えるか:難民・強制移動研究の理論と方法』慶應義塾大学出版会、伊藤寛了(2020)「難民の社会参加と多文化社会:トルコと日本の難民受入れを事例として」万城目正雄・川村千鶴子(編)『インタラクティブゼミナール--新しい多文化社会論』東海大学出版部など。