大山彩子
ロシア軍による2022年2月24日のウクライナ侵攻後、英国政府はウクライナへの軍事支援とロシアへの経済制裁において迅速な対応を行いました。いち早く武器や軍事アドバイザーを送り込み、ウクライナ兵を英国内で訓練し、ロシアに対する経済制裁を強化してきました。一方でウクライナ難民に対しては、家族スキームとホームズ・フォー・ウクライナという2つのルート(表参照)を用意しましたが、受け入れ数においても対応の素早さにおいても他のヨーロッパ諸国と比べて劣っており、国内でも批判的に論じられています。
(出典:Home Office, 2022)
こうした英国政府の対応を背景に、地方政府では地域社会の声を反映してロシアへの抗議活動とウクライナ難民支援が行われました。ロシアへの抗議として、ウクライナに侵攻したロシア軍を非難し英国政府の制裁強化を支持する内容の声明が多くの地方政府から出され、ロシアの都市と姉妹都市を締結している地域(コベントリー、グラスゴー、オックスフォード、ダラムなど)では一時停止や終了が宣言されました。また、ウクライナ難民受け入れに関して消極的な英国政府とは対照的に、多くの地方政府で難民を積極的に受け入れていく姿勢が表明されました。地域での難民プログラムの一環として、ウクライナから逃れてきた人たちに向けた地域特有の生活情報を載せたガイドブックやガイド動画が各自治体のホームページで公開されました。こうした情報誌や動画では「ウクライナ人ゲスト(Ukrainian guests)」や「歓迎する(welcome)」という言葉が使われており、ウクライナ難民が地域社会に歓迎されていると感じることができるよう作成されたことが示されていました。
筆者の住むケンブリッジ州 1 では、ウクライナ侵攻開始5日後の3月1日付けで州議会から英国政府宛てに要望書が送られ、その公開を通してケンブリッジ州としての見解と方針が住民に知らされました(Cambridgeshire County Council, 2022)。同州議会は、ロシア軍のウクライナ侵攻に対して深い懸念を表明するとともに、「ウクライナ難民のための合法的で安全なルートを、アイルランドや他のヨーロッパ諸国にならって素早く提供すること」と「クレムリンにつながりのある人物と企業に対してより一層の制裁強化を実行すること」の2点を英国政府に求めました。要望書ではさらに、ケンブリッジ州はウクライナ難民の受け入れ態勢がととのっていることが述べられ 2 、州全体で積極的に受け入れていくことを英国政府に約束していました。ウクライナ難民受け入れに関して「アイルランドや他のヨーロッパ諸国にならって」と書き加えたことで対応の遅い政府への非難を示しつつも、政府による難民支援の詳細が決まり次第受け入れを行うことを約束することで、政府の迅速な行動を促しました。
そして実際に、州内に5つある行政地区の1つである南ケンブリッジ地区では、政府による第二のルート(ホームズ・フォー・ウクライナ)発表後、ゲスト(ウクライナ人)とホスト(受け入れ側の英国住民)をつなげるためのオンラインコミュニティ設立や受け入れ希望者へのウェビナー開催、そして必要な手続き(地区内の家や部屋の提供申し出の受け付け、提供する個人や団体の審査、家や部屋が提供に適しているかの確認など)を速やかに行いました。こうした努力により、2022年5月3日時点において、南ケンブリッジ地区での第二のルートでのVISA取得数は435となり、これは英国イングランド内に181ある地方行政地区の中で最も多い取得数となりました(South Cambridgeshire District Council, 2022)。
一方で、英国政府によって規定された「ウクライナ難民」という分類から抜け落ちてしまい、危機直後の数か月の間、著しく弱い立場におかれてしまったウクライナの人たちがいました。ウクライナ危機以前に英国に入国していた季節労働者たちです。2020年12月31日に移行期間を終えたEU離脱により、英国における季節労働者の主な出身国はポーランドやルーマニアのEU国からウクライナに取って代わり、2021年に交付された季節労働者VISAの67%(約2万人)をウクライナ人が占めていました 3 (Walsh and Sumption, 2022)。英国の農業がウクライナ人の季節労働者に大きく依存していたにも関わらず、彼らへの政府の対応は大きく遅れ、彼らは非常に苦しく困難な立場に追いやられました。
第一に、彼らは英国政府が用意した前述の二つのルートを自身や家族のために利用することができませんでした。短期VISAで入国している彼らは自身が「英国在住のウクライナ人」として家族を呼び寄せることはできないので、例えば出稼ぎに来ていた夫婦が幼い子供を英国に呼び寄せることができませんでした。そして、危機以前に入国していたので「ウクライナ難民」対象の公的支援を受けることもできませんでした。
第二に、2022年末まで季節労働者の滞在許可が延長されましたが、農業分野以外では就労できないという規定は変更されませんでした。しかし、英国農家も収穫物によっては仕事を提供し続けることができません。さらに、以前から問題として認識されていた海外からの季節労働者に対する労働搾取の問題も状況を悪化させました。支援団体には「皮が破れて血が出ても手袋着用を認めてくれない、けがをしても病院に連れて行かない、達成困難な目標を設定される、抗議したら1週間働かせてくれなかった」といった農家から逃れてきたウクライナ人労働者が駆け込んできていました。彼らはそうした農家から逃れても自国に戻ることもできず、難民としての公的支援も受けられず、1日1日を生き延びるために建築現場や清掃など現金手渡しの仕事で非合法に働かざるを得ない状況に置かれました。つまり政策の不備により、不本意にも非正規移民となってしまっていたのです。
こうした状況を受け、英国政府はウクライナ人のための第三のルートとして「延長スキーム(the Ukraine Extension scheme)」の導入を3月29日に発表しました。英国に滞在しているウクライナの人たちは、3年の滞在延長が認められ、入国時とは異なるVISAを申請できることになりました。申請が通れば、季節労働者は農業分野以外でも就労できることになります。支援団体は、この延長スキームの導入を評価しつつも、申請開始が5月3日からであり、導入発表から1か月以上待たされる上にさらに申請が通るまで待たなければならないことに深い懸念を示し、特に困難な立場におかれた季節労働者にはすぐに公的資金を受け取れるようにし、農業分野以外でも就労できるようにすべきだと指摘しました。また、さまざまな状況に置かれているすべてのウクライナ国籍の人たちに福祉受給資格を与えるよう政府に求めています(Focus on Labour Exploitation (FLEX), 2022; Taylor, 2022a; 2022b)。
危機下における英国社会において注目すべきもう1つのグループはロシアにルーツを持った人たちです。英国統計局(Office for National Statistics (ONS), 2022)では、ロシア生まれの英国住民は約73,000人(2020年)と推計しています 4。地方紙では、ロシア系の食品や雑貨を扱っている商店で、シャッターに落書きをされたり心ない言葉をかけられたりといった嫌がらせを受けていることが記事にされています。社会の長期的なウェルビーングを考える場合、特に将来英国とロシアとの架け橋となるであろうロシア系の若者や子供たちへの影響が懸念されます。ウクライナ侵攻直後は英国在住のオリガルヒ(ロシア人富裕層)への非難が特に激しく、その矛先は子供たちにも及びました。全国紙では、保守系国会議員や大学教授などによる「英国の寄宿学校に通っているオリガルヒの子供たちを退学させるべきだ」「オリガルヒの学生は全大学で退学させるべきだ」という意見が報道されていました。現在大学では「出身がどこであっても全学生を支援する」としながらも、ウクライナ人留学生や研究員への支援が最優先されている状況にあります 5。ロシアからの留学生も自国からの学費送金が困難になり、また「授業の中でウクライナ危機について触れられると恥ずかしくてその場から消えたくなる」「この話題について話せる人がいなくて、気持ちを理解できる人がいない」「英語を話すと発音でロシアなまりとばれてしまうから、何も話さないようにしている」といった心配事を抱えています(Fazackerley, 2022)。孤立している彼らにも経済的、精神的サポートが必要とされています。同じく英国に住む外国人として、ある特定の国にルーツを持っているという理由で社会の中で排除的な動きが出てきている状況が気がかりです。
外見や言語、アイデンティティを理由とした嫌がらせやヘイトクライムの根絶は政府と地域社会が一体となって取り組むべき課題です。例えば新型コロナウィルスの流行をきっかけにして始まった東アジア人・東南アジア人に対するヘイトクライム 6 は2022年に入っても増加しており、英国でもようやく英国政府出資による被害者支援と被害の実態調査が開始されました 7。現在はウクライナを支援したい気持ちとロシアへの非難が強いため、ロシア系の人々の声はあまり聞こえてきませんし、ロシア系住民に対する嫌がらせやヘイトクライムが英国内でどの程度起きているのかについてはまだ不明です。戦争が1日でも早く終わり、嫌がらせ根絶への実践的な取り組みやよりよい支援の提供について、ロシアにルーツを持っている人たちも一緒に語り合い、取り組める状況になることを願っています。
注(クリックして表示)
引用文献(クリックして表示)
bulletins/ukpopulationbycountryofbirthandnationality/2020
著者プロフィール
大山彩子
お茶の水女子大学大学院修士(社会科学)。英国アングリアラスキン大学大学院にてPh.D.取得。専門は社会統合(Integration)、多文化共生・多文化共創、移民政策、国際福祉。英国在住18年。現在はOxfamでボランティア活動中。