山口美智子
コロナパンデミック前、2019年にMPI-Migrant Policy Instituteがとった統計によると、アメリカは世界で2番目にウクライナ移民が多い国となっています。2019年の段階で35万5千人のウクライナからの移民がアメリカで永住権、市民権をとって居住しています。そのうち73%は市民権を取得していますが、これは他国からの移民の市民権取得率が52%であることに比べると遥かに高い割合です。このことはウクライナ移民の多くはアメリカ社会に骨を埋める覚悟での移住であることを物語っているのではないかと言えます。2020年には1万人が永住権を取得しました。その39%が難民のステータスからです。この割合は他国難民が難民ステータスから取得した9%に比べると遥かに高い取得率と言えます。またアメリカに在住するウクライナ移民の職種、収入、学歴などに関する統計では、他国からの移民に比べ学歴が高く、就職率については他の難民と殆ど同じとはいえ、職種に関しては48%が管理職、ビジネス、科学、芸術関係といったホワイトカラーと言える職種に携わっています。ウクライナ移民の平均年収は$68,000で母国のアメリカ人($66,000)や他国からの移民($64,000)を凌いでいます。
2022年2月、ロシアによるウクライナへの軍事侵攻が始まった後、ウクライナ人がアメリカにおいてどう扱われているのか調べてみました。翌月の3月には、ホームランドセキュリティー(移民局)は、学生や旅行者としてアメリカ国内に滞在していたウクライナ人にビザの延長や滞在許可証を与えました。4月には、バイデン大統領はウクライナ支援としてUniting for Ukraine programを打ち出し10万人のウクライナ人を受け入れると宣言しました。アメリカ在住の家族や親戚の経済的サポートを条件に申請できるTPS(Temporary Protected Status) により18ヶ月の滞在許可を与える政策も打ち出しました。その結果、2022年11月上旬現在、学生ビザ、旅行ビザ、その他の移民ビザで4万7千人、アメリカ内の親族からのスポンサーを条件としたTPS申請で3万人を受け入れています。これらの処置で滞在許可を得たウクライナ人にはアメリカのメジャーな社会保障である現金補助、教育の補償、就職、医療費、住宅などの補助を申請ベースで受けられることになっています。
また一時的にメキシコ国境からアメリカ入国を試みた2万2千人のウクライナ人を入国させるという優遇措置を取りました。この優遇措置に対しメキシコ国境ですでに長く拘留されたり非人間的な扱いを受けて滞留させられたりしているベネズエラ、アフガニスタン、アフリカ諸国などの多くの国の難民やそれを支援する団体からは、人種差別だとの批判の声が上がりました。2022年2月以降難民申請を通して入国認可を得た人数は2022年11月末現在で1,644人とのことです。リベラル系の国営放送の番組では、ウクライナ人に対してのみ一時的に難民申請の費用を免除し、手続きを優先的にするという、他国難民にはない優遇措置をとった事実があったことが報道されていました。番組の中でインタビューを受けていた難民申請中のアフガニスタン人(注)は、ウクライナ難民が優遇措置で認可が早くおりていることにやりきれなさと怒りの思いをぶつけていました。このようなアメリカの対応を鑑みると、ウクライナ人はアメリカ社会では他国の移民より優遇されていると言わざるを得ません。人種は大きな理由と考えられますが、その他の理由としてはアメリカとロシアの政治的対立の構図もあります。ロシアの軍事侵攻によって始まった戦争で犠牲になっているウクライナ人を受け入れることはアメリカの政治的メッセージとしてもプラスになるし、国民も受け入れを歓迎しています。
アメリカ国内でウクライナ難民が最も多いのがニューヨーク州で、その中でも特にニューヨーク市ブルックリン地区のブライトンビーチが全米一のロシア系のコミュニティとなっています。ブライトンビーチのコミュニティはロシア系ウクライナ人も多いことや風景がウクライナの黒海に臨むオデッサの街に似ているところからリトルオデッサとも呼ばれています。
ここにはウクライナ人だけでなくロシア系のジョージア、ベラルーシ、その他の地域からの人々も多く、お互いの文化を尊重しあいながら融和し平穏な雰囲気に溢れています。しかし、ロシアとウクライナとの戦争はその平和なコミュニティに多少の不協和音をもたらすことになりました。リトルオデッサに住むロシア系住民の中でも年配者はソビエト連邦時代の教育をうけており、アメリカ移住後も言語などの問題でロシア系のニュースを情報源として聞いていたため、ロシア側の情報を信じプーチンを信奉する人々も少なくないそうです。自由を求めてアメリカに来たはずでは、と疑問は感じますが、故郷を懐かしく思う気持ちと愛国心もあいまった結果なのでしょうか。戦争開始後はアメリカ政府によりロシア系のプロパガンダを掲げるニュースの報道が禁じられました。その後初めて聞くアメリカ、西側諸国の視点で流されるニュースの内容に対し驚愕し、認識を新たにする年配者もいるものの、多くは複雑な思いで西側のニュースを受け取っています。
コミュニティの多くの人々はウクライナ支援をしていますが、個人レベルの付き合いの中でギクシャクする場面が増えたようです。それまでは近隣の友人として気楽に話し、チェスやゲームなどをして付き合っていた友人同士でも、親ロシア派とウクライナ支援派で意見が違う場合は、気まずくならないよう政治的な話題はふれないように気を遣って付き合いを続けているようです。ウクライナを支援する傾向が強いため、親ロシア派の人々はどちらかというと姿勢は曲げないものの肩身の狭い思いをして過ごしていると言います。一方、コミュニティの若者達についてはロシア人であっても圧倒的にウクライナ支援派が多く、反プーチン運動を活発に展開しています。
戦争が始まって以来、リトルオデッサの街の風景にも変化が起きました。それまで赤の広場の絵を看板にしていたレストランは、その看板を外し、代わりにウクライナ国旗を店に掲げました。町並みのショウウインドウのマネキンにはウクライナの国旗を象徴するブルーと黄色の服が着せられ、ウクライナを支援する雰囲気に溢れています。
個人レベルの付き合いでは確かに気まずい場面もあるものの、コミュニティ全体として緊張感や争いが起きるような物々しい雰囲気はなく、平穏が保たれています。ある住民は今もコミュニティが平穏であることについてコメントを求められると、「私達の多くは迫害を逃れ自由を求めて遠いこの国までやってきた同じ仲間だから」と言っています。親ロシア派にせよウクライナ支援派にせよ、ロシアあるいはウクライナに住んでいる彼らの親戚や家族が戦争に巻き込まれていることを心配する思いは同じです。リトルオデッサが平穏を相変わらず保っているのは、運命共同体的な同胞意識を持ち、政治的な視点を超えたヒューマニズムという視点でまとまっているからだと感じます。リトルオデッサに住む人々は、遠く離れた故郷では敵として戦っている親族や友人を持ちながらも、同じコミュニティで生きる者としてどう協調し仲良く暮らしていくかという共創の意識を常に保っているのではないかと言えます。
アメリカ社会全体の傾向としてあらゆる問題を政治的視点で判断、分析する傾向が強く、ヒューマニズムの視点で捉えることが欠落しているように思えてなりません。コロナ対策、アファーマティブアクション、妊娠中絶の権利に関してなど全てそうです。イデオロギー優先のものの捉え方の傾向こそが実は分断を深める方向に導いているのではないでしょうか。イデオロギー優先の視点は自分とは違う視点に立つ人々を受け入れなくさせるだけでなく排他的傾向性さえ生み出し、社会、個人レベルの分断、争い、憎しみ合いを導きかねません。共創社会の実現は社会に生きる個人としてヒューマニズムの視点に立って他者と関わろうとする意識があって実現でき、それがひいては個人のウェルビーイングにもつながるのではないかと考えます。
著者プロフィール
山口美智子
ニューヨーク州修士号レベル ソーシャルワーカー免許(MLSW)、臨床ソーシャルワーカー免許(LCSW)取得、コロンビア大学大学院スクールオブソーシャルワーク(Master of Science)。インターンシップ時代1年目は、ニューヨーク市コーネル大学付属病院でHIV外来クリニックと癌の入院病棟で患者のケアにあたる。2年目は、ブロンクスのコミュニティーセンターにて児童虐待が疑われる家族の包括的なケアに当たる一方で、不登校気味の児童のためのグループカウンセリングを行う。2001年大学院卒業後は、ニューヨーク市教育委員会によりアウトソーシングのサイコセラピストとして問題行動のある児童をホームベースで治療をおこなった。2001年より現在までニューヨーク州ウエストチェスタ郡の寮制高校のスクールカウンセラーとして勤務にあたる。