大東文化大学名誉教授 川村千鶴子
✤ロシアによるウクライナ侵攻から激動の1年が過ぎました。
プーチン大統領は、年次教書演説で自らの誤算は語らず、米欧がロシアを「永遠に滅ぼそうとしている」と主張し、「国民の命と故郷を守る」と自衛のための戦争であることを強調し、戦争継続の決意を改めて示しました 1 。
隣国ポーランドでは、バイデン大統領がウクライナへの支援と結束を訴える演説を行いました。多数の論客が戦争終結のシナリオを模索しつつも、戦争終結は見通せず、戦争の長期化が不可避の状況です。
犠牲になった尊い命の無念を想う、心の拠り所である宗教施設の破壊は、アイデンティティを破壊しようとする意図と感じた方も多いのではないでしょうか。ウクライナの学校・病院や重要インフラに対する攻撃だけでなく、宗教施設や文化施設の破壊も目のあたりにしてきました。
とりわけロシアのウクライナ侵攻戦略は、電力施設への執拗な攻撃に特色づけられ、今後、「核」攻撃もありうると言及されています。2022年、ロシアがザポロジエ原子力発電所を占拠したのは、電力施設の打撃でウクライナの抗戦力を麻痺させて勝利を手にする作戦だったことが推測されています。(産経新聞2023.2.22)
世界秩序が揺らぐ中、なぜプーチン大統領は歴史的な暴挙に出たのでしょう。
「法の支配」に基づく国際秩序がなぜ守れないのでしょうか。
そして世界各国はどのように避難民を受け入れ、支援をしてきたのでしょうか。
✤そうした誰もが抱いた疑問に第Ⅲ部のコラムが応えてくれました。まず、明石留美子氏の総論「グローバルな視座から考えるウクライナ危機とウェルビーイング」に始まり、次にウクライナとロシアの関係性を歴史的視点と民族学視点から荒井幸康氏が解説しています。そして藤巻秀樹氏が、先進諸国を含めた国際関係から論述しました。トルコから考えるウクライナ危機を伊藤寛了氏、イギリス国内からの視座を大山彩子氏、アメリカ国内での視座を山口美智子氏がそれぞれ貴重な調査結果と重要なヒントを与えてくれます。日本でのウクライナ避難民は2,300人を超え、様々な悩みを抱えている実態を石川えり氏が執筆されました。貴重な論考です。第Ⅲ部のコラムはこちら からご覧いただけます。
✤戦争が生み出す複合的危機
文豪トルストイの『アンナ・カレーニナ』の冒頭は、「幸福な家庭はみな似通っているけれど、不幸な家庭は不幸な相もさまざま」で始まります。皮肉にもロシアからウクライナへの軍事侵攻は、過去にない人道危機を起こし、多数の死傷者を出し、憎しみと怒りの連鎖からロシア国内の分断と頭脳流出をも引き起こしました。AI活用などIT立国を目指す国々にとって、ロシアからの頭脳流出は歓迎され、30万人超の高度人材が流出しています。徴兵動員を恐れたロシアの若者が安心・安全を求めて遠く離れた日本にも避難しています 2 。
ウクライナからは、子どもや民間人も避難を強いられ、国内避難民は約600万人、EUの国々に逃れた難民の数は約800万人と伝えられています 3 。
このように戦争の長期化は、家族の離散を伴い、両国にとって大きなダメージになっています。犠牲者の埋葬と葬儀が日常化し、悲嘆と憎しみ、核への不安やストレスの原因となります。戦争は、双方にウェルビーイングを生み出さないことが明らかです。
✤誰が解決の鍵を握っているのでしょう。国連安保理は機能しないのでしょうか?
2022年10月の国連総会の緊急特別会合では、ロシアがウクライナ4州を併合したことへの非難決議が143カ国の賛成で採決されました。インドや中国を含めた35カ国が棄権し、10カ国が無投票でありました。
2023年2月22日、国連総会は、緊急特別会合を再開し、ロシア軍の即時撤退を求める決議案を討議しました。やはり南半球の新興国を中心とするグローバルサウスの賛否が鍵を握っています。
世界的複合危機の最中にあることを思い知らされ、最悪の人道危機の余波が広がり、国際社会の支援に頼ってきた発展途上の国々にも及んでいます。国連児童基金(ユニセフ)の人道支援は、ウクライナを含む欧州・中央アジアに向けられてきたわけですが、食糧支援を減らしており、国際機関などの支援難も続いています。
ガス戦略によるエネルギー危機、食糧危機、貧富の格差の広がりと核兵器の脅しといった複合的危機が重なり合っています。ウクライナへの支援を継続する決意をもつG7サミット国(イタリア・カナダ・フランス・米国・英国・ドイツに日本を加えた主要7カ国)はロシアによるウクライナの民間人や重要インフラをも攻撃したことを非難し、国際法に基づく責任追及をすることで一致しています。武器や弾薬をウクライナに送れば、戦争に加担したことになり、国によっては温度差がありました。例えば、ブラジルのルラ大統領は、「もし武器や弾薬を(ウクライナに)送れば戦争に加担したことになる」と語っています。(CNNインタビュー2023.2.10)
✤世界を覆う複合的危機は人ごとではありません。
フェイクを含む大量のプロパガンダに接し、戦時下の情報を鵜呑みにはできません。真偽不明な情報の渦にどう向き合えばいいのでしょうか?
さらに2023年2月トルコ南部とシリアに大地震が発生し多大な被害に悲しみの連鎖が起こりました。中国の飛行物体である偵察気球の飛行と対中国強硬論が強まる米連邦議会。ロシアはウクライナ侵攻後、欧州向けの天然ガス供給をほぼ停止してきました。資源大国に依存する現状に警鐘を鳴らし、半導体や蓄電池などの重要物資のサプライチェーンの強化も話し合われるとしています。このような複合的な危機と関係悪化にいかにして対応し食い止めることができるのでしょうか。
✤無関心ではなく、人間の安全保障を語り合いましょう。
紛争予防や危機管理、人間の安全保障を語り合う身近なプラットフォームを継続しましょう。さらに日本から多文化共創による平和構築の蓄積を世界に発信することが大切です。多文化とは「差違の承認」であり、在日外国人も日本人も、一人ひとりが多様です。外国人は「客体」ではなく、主体的に自立・自律した地域コミュニティの担い手でもあります。災害時には外国人防災リーダ-として支援する側にもなっています。例えばウクライナ人とロシア人が音楽やバレエなどの親しい文化交流を継続している例もあります。相撲界では、ロシアとウクライナ出身の力士が共に汗を流しています。厨房で、両国のシェフが一緒に料理を作り、お客に提供しているロシア・ウクライナレストランもあります。
2023年2月には、ロシア人ピアニストとウクライナ人のヴァイオリン奏者が、東京と京都と広島でコンサートを開催しました。平和への祈りと「気づき愛 Global Awareness」が連鎖しています。さらに国内各地において、在日ロシア人やウクライナ人が、反戦デモを行っています。
✤「対話的能動性」を共に培っていきたいものです。
戦争の終結と復興支援に向けて、対話によって心を開き、感性を磨き、歩み寄りを可能にしようではありませんか?
ロシアの哲学者バフチン(Bakhtin)は、文化的衝撃から来る摩擦や葛藤を創造性に変えるものとして、対話(dialogue)を挙げました。摩擦や葛藤を正面から見据え、摩擦や葛藤に耐え、多様な他者と向き合い、積極的に相互作用に向かおうとする勇気が必要です。自己と他者の変革を引き起こす創造性をもつことが「対話的能動性」としました。戦争の終結とウェルビーイングな日常を取り戻す「対話的能動性」の努力を提案します 4 。
✤国家間の対話的能動性と人間の安全保障
最後に中国・北朝鮮・ロシアなど周囲を核保有国に囲まれている日本は堂々と「法の支配」を主張し、核廃絶と人間の安全保障を実現する積極的な外交努力が必要だと思います。2023年5月に広島で開催されるG7サミット(主要7カ国首脳会議)が戦争の終結と経済安全保障や気候変動などの問題を解決する機会と期待されています。主要7カ国のうち、米国は5,550発、フランスは290発、英国は225発の核弾頭を保有しています 5 。広島だけでなく、長崎の原爆資料館も訪問していただき、原爆の恐ろしさと、長期に米国や日本国民にも知らされていなかった長崎での原爆投下の事実なども共有していただきたいと思います。またマーシャル諸島など太平洋島嶼国での水爆実験の影響が、次世代の妊産 婦や乳児に影響してきた事実など、核の恐ろしさを共有したいと思います。
日本は自信をもってグローバルサウス144カ国とも、対話的能動性を発揮すべきであるとお伝えして締めくくります。
著者プロフィール
川村 千鶴子
大東文化大学名誉教授。多文化社会研究会理事長。博士(学術)。NPO太平洋協力機構顧問。東アジア経営学会国際連合産業部会。大東文化大学環境創造学部教授。同学部長。移民政策学会理事、世界島嶼学会理事、日本オーラルヒストリー学会理事、国立民族学博物館研究員、法務省調査検討委員会有識者会議委員、難民支援協会スペシャル・サポーターを歴任。2021年経済産業省中小企業庁委託『企業におけるCSR/人権担当者向け実践講座』担当。2022年第6回「外国人雇用の道を拓く-人権尊重の共創経営の知恵」担当(公益財団法人人権教育啓発推進センター)。