コラム

共に弔う 世代間サイクル

共に弔う
安場 淳

化を跨ぐ葬礼
 中国帰国者の支援に携わっている縁で、ある中国残留婦人の告別式に参列したときのことです。この方は戦前に両親に連れられて旧満洲に渡り、1945年の敗戦後の混乱の中、十代半ばで中国に残らざるを得なくなった方でした。二世を伴っての永住帰国が叶ったのは戦後も40年経ってからでしたが、その後、日本で三世も生まれました。
 喪主の挨拶では、ご長男が用意していた日本語の原稿を読み上げ、いよいよ出棺となった時、突如「イールー ゾウハオ ア(一路走好啊)!」という叫び声に近い呼びかけで場が満たされました。火葬場に向かう母の棺に向かって息子たちが涙ながらに呼びかけた言葉でした。「一路走好」とは、「あの世までご無事で!」と死者に掛けられる言葉です。息子たちにとっての"母語"、そして、彼らの母にとっては十代のときに耳から覚えた二つ目の言葉、日本生まれの三世にとっては聞き取ることはできても流暢には話せない"継承語"でした。
 出棺の直前には、故人の使っていたご飯茶碗を床に投げつけて割る儀式が行われ、あ、これは日本にもあった習慣だ、中国から伝わったのか、などと考えていたところにこの「一路走好」が聞こえてきたのでした。このように、概ね葬儀会社の式次第に則って日本式に運ばれた葬儀でしたが、肝腎なところは中国のやり方を守って執り行われたのです。
 火葬の後、日本では納骨までの間、お骨は親族が自宅に持ち帰って安置するのが一般的です。しかし、中国でも最近こそ火葬が増えましたが[i]、土葬をあるべき姿と考える人は今も多く、霊魂の存在に対する恐れも強固です。妊婦は今も葬儀に出席を許されません(日本にも同じしきたりを持つ地域がありましたね)。そんな中国の文化では、お骨を持ち帰ることは死霊を家に連れ帰ることに繋がるため、強い忌避感があり、火葬の場合もお骨は納骨まで遺骨預かり処に置かれます。日本に暮らす帰国者の人たちは火葬にすること自体は受け入れており、自宅にお骨を置くことにも従ってはいますが、その間多くの人は戦々恐々と過ごしているのです。
 ことほど左様に、弔いのようにタブーの多い事柄が多く、移住者と受け入れ国とでその規範が大きく異なる場合こそ、家族は自らの文化の規範に則って死者を送ろうとします。日本で亡くなる人たちの多文化化に伴って各宗教宗派の施設も増えてきており、各々の規範に則って弔いが行える方向に日本は開かれつつあります[ii]。冒頭の一家も妥協することができました。しかし、それは火葬であるという一点においてのことです。妥協できない埋葬方式の文化差の問題がここ数年で広く認識されるようになってきました。

「異文化」の問題の彼方に...
 それは、日本在住のムスリムの弔いでした[iii]。神の力による死後の復活を信じるムスリムにとって、火葬は戒律に反するあり得ない選択です。在日ムスリム人口は2019年末の時点で23万と推定され(店田(2012))、日本国籍を持ち、日本に埋葬されることを望む人も増えてきました。日本列島には現在9か所、ムスリムの土葬を受け入れる墓地が存在しています[iv]が、九州にはまだなく、九州のムスリムは関東の団体に相談しなければいけない事態となっていました。そこで、2018年に「別府ムスリム協会」が墓地建設を計画して隣町の山中に地所を購入し、自治体の許可も得ました。ところが、その後から予定地が地域の水源に近いことへの不安から近隣住民の反対の声が起こったのです。
 この一件は広く報じられ、ムスリム差別の問題に還元されがちでしたが、鈴木(2023)は、取材を重ねる中で、住民側には一に墓地の新設、二に土葬、三にムスリムに対する漠然とした不安という重層的な不安があり、ムスリム云々が主因ではないことに気づきます。そして問題の最大の根源は、何の相談もなくよその市から面倒事が降ってきたという、共同体としての憤りの感情では、と考えるに至ります。
 この間、別府ムスリム協会は厚労省に多文化共生社会を目指す国としての責任において問題解決を、と陳情を行うと同時に反対派住民たちとの折衝を丁寧に重ねます。その結果、2022年に予定地を以前から土葬が行われていたトラピスト修道院に隣接する土地に移すことで同意が得られるところまで漕ぎつけました。ところが、今度はその新たな予定地に接する隣町の住民側から「何の説明もなく決められた」と反対の声が上がります。ここでも自分達が蚊帳の外に置かれたと感じた隣町の共同体としての感情のもつれが現れていました。逆に言えば、これは慎重にコミュニケーションを重ねていけば、問題を単純なムスリム差別に帰着させることを避けられるという教訓と感じられました。

「弔い」の内なる異文化
 とはいえ、今の日本で「土葬」が異質と感じられることもまた事実です。しかし、異質と感じた事柄の中に共感できるものを発見したとき、それは「異」質ではなくなり、より深い理解へと繋がるでしょう。異文化の根底にある価値観への理解を今一歩進められないものか、日本の埋葬の歴史を少し振り返ってみたいと思います。
 今は99.97%の遺体が火葬される日本ですが、統計の取られ始めた1913年の火葬率は31%強、土葬火葬比が逆転したのは1930年代、90%を超えたのは1979年です(文化庁(2014))[v]。つまり、40年ほど前まで1割は土葬が行われていたのです。しかし、現在では日本列島のほとんどの地域で土葬に対する強い忌避感が共有されています。高橋(2021)や鈴木(2023)、鵜飼(2023)が土葬に対する当事者の思いや列島各地に伝えられる弔いの風習を紹介していますが、既にそれらは多くの人にとって「異文化」と言えるほど遠くなってしまいました。
 ところが、火葬率が99.5%を超えた2001年にNPO「土葬の会」が設立されています。地域共同体による弔いがほぼ失われた日本で、個人レベルで土葬を行うことを望む人たちが一定数存在していたのです。このことは、「死んで焼かれたくない」という願い、すなわち霊魂が死後もしばらく肉体にとどまるという死生観が今も生きている証しと言えるでしょう。
 一方、琉球弧では土葬後数年を経ての改葬が広く行われてきましたが、これは中国南部から伝来した文化受容の結果であり、それ以前の基層文化では、霊魂は死によって肉体を離れ、新たな肉体を得て再生されると考えられていました(酒井(1987))。最も遅く明治の中頃まで風葬を守ってきた与論島では、より古い死生観が長く保たれており、土葬さえも亡骸を土中に埋めるという忌むべきことと考えられていました((2019))。これは高橋(2021)でも今を生きる島の人の言葉として語られています。亡骸は本来土中ではなく、洞窟の中で自然に還らせるべきという考えは今も島に息づいていたのです。琉球弧の、ひいては人類の古い死生観が垣間見えるように感じられました。
 このように、弔い方の根底にある死生観は文化圏によって真逆に近い違いが見られます。しかし、どの共同体も自らの死生観に基づいて死者を弔ってきたのです。弔いの異文化を尊重しようと考えることは、相手文化の論理を理解しようとすることと同時に、人類がどのように死を捉えてきたかという長い長い物語に思いを致すことにも繋がるように思います。

参考・引用文献
鵜飼秀徳(2023)『絶滅する「墓」-日本の知られざる弔い』NHK出版新書。
NHK(2021-1)「クローズアップ現代 2021721日 お墓に入れない...日本で最期を迎える外国人たち」
https://www.nhk.or.jp/gendai/articles/4574/
NHK(2021-2)「クローズアップ現代 2021721日 来日30年で顕在化 日系ブラジル人の墓問題」https://www.nhk.jp/p/gendai/ts/R7Y6NGLJ6G/blog/bl/pkEldmVQ6R/bp/p1GZRyA2ND/
勝田至(2012) 『日本葬制史』吉川弘文館。
喜山荘一(2015)『珊瑚礁の思考――琉球弧から太平洋へ』藤原書店。
国立歴史民俗博物館、山田慎也、鈴木岩弓編(2014)『変容する死の文化: 現代東アジアの葬送と墓制』東京大学出版会。
酒井卯作(1987)『琉球列島における死霊祭祀の構造』第一書房。
鈴木貫太郎(2023)『ルポ 日本の土葬―99.97%の遺体が火葬されるこの国の0.03%の世界』合同会社宗教問題。
高橋繁行(2021)『土葬の村』講談社。
店田廣文(2021)「日本のムスリム人口 1990-2020 年」滞日ムスリム調査プロジェクト。
https://www.imemgs.com/muslim-population-estimation/510/
文化庁文化部宗務課(2015)『宗教関連統計に関する資料集』文化庁。https://www.bunka.go.jp/tokei_hakusho_shuppan/tokeichosa/shumu_kanrentokei/pdf/h26_chosa.pdf
町泰樹(2019)「国民国家形成期における民俗信仰と葬制の変容 : 鹿児島県与論島の事例から」『地域政策科学研究16鹿児島大学。


[i] 『中華人民共和国2021年国民経済と社会発展統計公報』によれば、2021年の火葬率はコロナ禍の中、衛生重視で58.8%(2017年には48.9%)と年々上がってきてはいる。なお、近接する文化圏である韓国でも火葬は増えてきているが2010年の火葬率は67.5%、また、台湾では東南アジアから中国南部にかけて普遍的であった復葬(埋葬後数年経ってから遺骨を取り出して改めて埋葬または納骨堂に収める)の習慣が保たれていることが報告されている(国立歴史民俗博物館他(2014))
[ii] 南米日系人では、宗教的禁忌以前に、葬儀・埋葬費用の負担が難しかったり、墓を購入しようとしても外国籍を理由に断られて無縁墓に入ったり自宅に安置したままになっていたりという問題が起きている(NHK(2021-2))
[iii] NHK(2021-1)、鈴木(2023)、鵜飼(2023)など。
[iv] 仏教寺院やキリスト教修道院の墓地内にムスリムとして埋葬される形が多い。なお、墓地を新たに申請できる団体は宗教法人や公益法人に限られる。鵜飼(2023)では10か所となっているが、施設名が明記されていないため、9か所とした。
[v] 勝田(2012)によれば、列島内も一色ではなく、江戸時代においても浄土真宗信徒や大坂では火葬率が高かった。

著者プロフィール:
首都圏中国帰国者支援・交流センター勤務。1984年より埼玉県の中国帰国者定着促進センターにて未就学児から90代までの中国(1998年より+サハリン)帰国者の日本語・日本事情の学習支援と教材開発に携わり、その中で、全国の帰国者や外国ルーツの子ども達・生活者の支援者との連携を深めようと努めてきた。2005年から全国の支援者間ネットワーキングのためのML管理人、2017年から中国・サハリン帰国者の体験を語り継ぐ次世代の語り部育成・派遣事業を担当中。多文化社会研究会。

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