CLAIR(クレア)一般財団法人自治体国際化協会

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自治体間交流

姉妹交流活動の参考事例

姉妹自治体優良事例紹介

和歌山県  串本町

① 日本・トルコ友好関係の推進
② 青少年相互訪問の交流
③ 民俗芸能相互紹介の交流
④ 首長・行政代表団の相互交流

和歌山県 串本町
 ① トルコ メルシン・ヤカケント
 ② アメリカ合衆国 カリフォルニア州 ヘメット

 

交流事業の特色

1.定期相互交流としての青少年交流
2.5年毎にトルコ軍艦遭難慰霊碑において行われる式典へのトルコ姉妹都市首長団の参加
3.随時必要に応じて行われる民族芸能団の相互訪問及び首長団、行政代表団の相互訪問
4.町民による姉妹都市訪問

詳しくはこちらをご覧ください。
http://www.town.kushimoto.wakayama.jp/

 

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トルコ115周年記念祝賀レセプションにおいて 地元の学校を訪問し文化交流
   
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串本町青年団メルシン・ヤカケント訪問 メルシン・ヤカケント青年団来町



交流事業の内容

1890年9月16日、当時のオスマン・トルコ帝国よりの最初の親善使節座乗艦として日本に派遣されたエルトゥールル号がその使命を成功裏に終えての帰途、串本町大島樫野崎において台風の為遭難、特命全権公使オスマン海軍少将以下587名が殉職、生存者わずかに69名という未曾有の海難事故が発生、当時の大島村島民は献身的に生存者の救護に当たり、以来当町は日本・トルコ友好発祥の地として、官民を越えてトルコ共和国との友好の中心的役割を果たしてきました。
エルトゥールル号遭難より5年毎にトルコ共和国との共催で実施される式典には三笠宮家を初めとし、内外のトルコとの友好機関や団体の代表者が一堂に会し、慰霊の式典や文化交流事業を展開していますが、昨年11月に115周年として実施された式典には姉妹都市であるトルコ共和国メルシン市やヤカケント町から首長団6名が参加、相互の友好を深めるとともに、今後も引き続き首長団の参加が予定されています。
この答礼として、本年2月には串本町長がトルコを訪問、トルコ海軍を挙げての支援を受けながらメルシン市、ヤカケント町を表敬しました。
また、この9月にはメルシン市において予定されている「メルシン民俗芸能祭」への当町の参加が計画されており、民俗芸能団の派遣のほか、多くの町民の方に理解を深めてもらうため一般参加者の募集を行っております。また、同時に町議会関係者の参加も計画中です。
当町の姉妹都市交流の一つの核を成しているのは青少年の相互交流事業で、中学生を中心とした団の派遣、受け入れを行っています。昨年はメルシン市、ヤカケント町に派遣、本年はトルコの青少年を受け入れる予定となっています。本事業は1994年より始まり、これまでに串本町青少年42名がトルコ姉妹都市を訪問、トルコ姉妹都市よりは39名が来町しています。滞在形態は基本的にホームステイで、広く両国の文化に触れてもらうために日本では大阪、京都をトルコではイスタンブール、カッパドキア等への研修も併せて行っています。この事業には管内小中学校の教諭1名、役場職員1名を引率として参加させ教職員、役場職員の理解を深めることにも役立っています。
この青少年交流事業は、米国ヘメット市とも1995年より高校生を中心に実施されており、現在県立串本高等学校が実施主体となって交流が行われています。
町民によるトルコ姉妹都市訪問については、今後活発に実施して行きたいと考えておりますが、これまで2回実施しております。
相互の首長団、行政表団の相互交流も活発に行われており、これまで当町よりは首長を含む町議会議員等56名がトルコ姉妹都市を訪問、メルシン市、ヤカケント町よりは70名が当町を訪問しています。
相互の民族舞踊の交流も行われており、同町にはトルコ姉妹都市の指導を受けて平成14年には町民からなる「串本町トルコ民族舞踊団」が結成され町の行事などで活躍しています。

 串本町の概要
人口 20,463人
面積 135.78km²
概況 当町は紀伊半島の先端、本州最南端の地に位置し、東西南の三方に太平洋を望み、北には広大な紀伊山脈が連なっている。気候は一年を通じ温暖で、漁業、花卉の栽培が盛んに行われている。また、観光地としても年間多数の観光客が訪れているが、スキューバダイヴィングの適地として注目を浴びており、昨年は美しい当町の海がラムサール条約に登録されるなど、豊かな観光資源に恵まれた町である。

姉妹都市交流に係る周辺情報

提携年月日 1975年10月8日
姉妹都市提携の経緯

① トルコ国メルシン市に、串本町樫野にあるエルトゥールル号遭難慰霊碑と同一の碑が建立されている。これは第二次世界大戦中にメルシン市沖の地中海で国籍不明の潜水艦によって沈められ、その乗組員のほとんどが死亡したトルコ軍艦の慰霊碑とあわせてして建立されているものである。この碑は、駐日トルコ大使ジェラール・エイジオウル氏が、海軍総司令官であった1971年(昭和46年)5月23日エルトゥールル号遭難碑参拝に来町、追悼祭を行ったときいたく感激し、他国に慰霊碑が建立されているのに自国にはないということに心をいためられ、軍艦が沈められている地中海沿岸のメルシン市にエルトゥールル号遭難碑と同じ規格のものを建設することに努力され、これが建立された。これにより姉妹都市の縁組をした。
1890年トルコ国皇帝陛下の使節として、オスマンパシャ海軍少将以下656名の将士が軍艦「エルトゥールル号」で来朝し、明治天皇に謁見の上、日土親善の重責を果たして帰国の途中、同年9月16日和歌山県串本町樫野崎灯台下の岩礁に衝突、587名の将士は激しい暴風雨の中に艦と運命を共にした。爾来この惨事を地元の住民が日本国、トルコ国の援助のもとに弔魂碑を建立、異国の果てに眠るこの霊をなぐさめている。この国際友情の美わしい行為をきっかけとして、70、75、80、85周年目に、トルコ、和歌山県、串本町の協賛のもとに盛大な追悼祭を挙行した。たまたま75周年の追悼祭挙行に先だち、トルコ国、サムスン県選出の上院議員であり、日土議員友好グループの会員でもあるフェトヒテヴエット・オール氏の斡旋により、串本町樫野と、ヤカケント町の姉妹町設定計画を発議、日土議員友好グループの決議を得てその運びとなった。75周年追悼祭が弔魂碑前で盛大に行われた前日(64年11月11日)串本町議会において姉妹都市縁組の議決をし、追悼祭の式典に披露された。

② 1971年レディ・ワシントン号というアメリカの帆船(90トン、船長ジョン・ケンドリック氏)がボストンを出帆、カナダのヴァンクーバー島でアザラシの毛皮500枚等を積込んで、太平洋を渡り、中国の広東に入港交易を望んだが折合わず、たまたまそこへ来合わせていたニューヨークの毛皮船グレイス号(船長ダグラス氏)とともに広東を出帆して、大阪堺へ航行中風浪のため、串本町大島樫野崎近くに停船、11日間滞留、その間、大島から給水したり、薪を切って積込んだりした。これが、米船の日本渡来のかわきりであり、ペリーが黒船4隻を率いて浦賀へ来て幕府に開国を求めたのが嘉永6年(1853年)であるが、それより62年前の寛政3年(1791年)3月であった。これを記念して、日米修交記念館を樫野崎に建設した。この日米修交記念館の展示品について、当時方出身者で当時ヘメット市議会の副議長をしていたケンJ.西野氏にお世話願った。これを契機として、ヘメット市と姉妹都市の契りを結ぶに至った。

今後の展望、課題等 上記のように当町の海外姉妹都市の交流は多岐に渡っている。現在既に実施されている交流事業を核として堅持しつつ、住民間の相互訪問、相互理解がさらに深まる機会を提供していきたいと考えている。これまでの交流の中で相互の信頼関係は揺ぎ無いものとなっており、あらゆる分野の交流においてあらゆる計画が実現可能な状況であるので、さらにお互いに研究し、人的、文化的、経済的な交流を活発に行っていきたいと考えている。
このページに関するお問い合せ先
交流支援部交流親善課
Tel :  03-5213-1723
Fax :  03-5213-1742
Email : shimai@clair.or.jp
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