姉妹(友好)提携情報
姉妹(友好)都市提携を希望する日本の自治体・海外の自治体について
日本との姉妹交流を希望する海外の自治体:ヨーロッパ
01. アイスランド | 02. アイルランド | 03. アルバニア |
04. アンドラ | 05. イギリス | 06. イタリア |
07. ウクライナ | 08. エストニア | 09. オーストリア |
10. オランダ | 11. ギリシャ | 12. クロアチア |
13. コソボ | 14. スイス | 15. スウェーデン |
16. スペイン | 17. スロバキア | 18. スロベニア |
19. セルビア | 20. チェコ | 21. デンマーク |
22. ドイツ | 23. ノルウェー | 24. ハンガリー |
25. フィンランド | 26. フランス | 27. ブルガリア |
28. ベラルーシ | 29. ベルギー | 30. ポーランド |
31. ボスニア・ヘルツェゴビナ | 32. ポルトガル | 33. マケドニア旧ユーゴスラビア共和国 |
34. モナコ | 35. モルドバ | 36. モンテネグロ |
37. ラトビア | 38. リトアニア | 39. ルーマニア |
40. ルクセンブルク |
リッチフィールド地区カウンシル(Lichfield District Council) | |
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概況 |
人口:106,000人 リッチフィールド地区には、3つの階層(レイヤー)の地方自治体があります: ・スタッフォードシャー州議会は、交通機関などのサービスや、公衆衛生、児童福祉、成人福祉ケアなどのサービスを提供している。 |
提携希望国・地域 |
提携地域について特段の希望はありませんが、リッチフィールド地区の特徴をいくつか挙げておきます。 リッチフィールド地区の地理、経済、集落、文化、遺産の多様性は、他にはないセールスポイントです。特に文化と遺産については、歴史的な都市(2021年の国勢調査でリッチフィールド地区の人口の3分の1以上(約35,000人)を占める)、豊かな産業遺産を持つ都市部、バーンツッドの鉱業、キャノックチェイス、運河網の中心地であるアーミテージ、トレントバレーとチェイスの田園地帯があります。 軍事の伝統も色濃く残り、国立記念樹木園もあります。古くからある村の多くには、中世の教会[Clifton Campville, Hamstall Ridware]があります。 重要な集落は、統一国家としてのイングランドが存在する以前からあり、この地区は、アングロ・サクソン時代のイングランドとヴァイキングが支配していた地域の境界に位置しています。キリスト教の宣教師聖チャドは西暦700年にリッチフィールドに教会を設立し、リッチフィールドはマーシア王国の教会の中心地でした。 最近の重要な考古学的発見は、メルキア文化の豊かさを明らかにしています(リッチフィールドの天使、スタッフォードシャーの宝庫)。リッチフィールドの街路計画は12世紀に確立され、その壮大な3つの尖塔を持つ大聖堂(イングランドで唯一のもの)は、大部分が13世紀の建物です。 最近まで、リッチフィールドは大きな教区(宗教改革以前はチェシャーまで広がっていた)の中心地であり、ロンドンからチェスター(そしてそこからアイルランドへ)、バーミンガムからダービーへの幹線道路に面していました。常に専門家、弁護士、知識人の街であり、ホスピタリティとコーチング業が盛んでした。現在もホスピタリティと観光経済が盛んで、技術やICTビジネス、法律や専門職の雇用も多いです。 17世紀半ばの内戦の間、大聖堂は強力な王党派の駐屯地となり、長い包囲戦の後、国王自身が敵に降伏して初めて議会軍に降伏しました。 大聖堂のほかにも中世の名建築がいくつか残っており、ジョージ王朝時代(18世紀)の市場都市としての特徴を残しています。 17世紀にリッチフィールドで生まれた著名な人物としては、オックスフォードのアシュモレアン美術館の創設者エリアス・アシュモールや、人口学者・統計学者の先駆者グレゴリー・キングなどが挙げられます。リッチフィールドは、サミュエル・ジョンソン博士の生誕地としてよく知られていますが、18世紀、「リッチフィールド啓蒙主義」と呼ばれた時代に、この街で文化活動が盛んに行われたことは特筆に値します。注目すべき人物には、詩人のアンナ・セワードや、医師・科学者・詩人のエラスマス・ダーウィン(チャールズの祖父)がいます。ダーウィンは、マシュー・ボールトン、ジョサイア・ウェッジウッド、ジョセフ・プリーストリーなど、リッチフィールドの科学者、哲学者、企業家を集めてしばしば開かれた「ルナー・ソサエティ」の主要メンバーでした。 シュロベティード・フェア、セント・ジョージ・デー、「バウワー・デイ」のフェアとパレード、保安官の乗馬、ジョンソンの誕生日など、古くから伝わる祭りや儀式の現代的な再現を市議会は支援しています。これらの行事は、より新しく革新的な行事に混じって位置づけられています。劇場も盛んで、ギャリック劇場(ロンドンで有名になったリッチフィールド出身者にちなんで名づけられた)、パフォーマンスや展示のための新しいクリエイティブ・スペース「ハブ・アット・セント・メアリーズ」があります。リッチフィールド・フェスティバルは、毎年夏に11日間にわたって開催される総合芸術イベントで、40年以上続いている。食べ物や飲み物のフェスティバル、クラフトフェア、ショーやコンサートがない週末はめったにありません。今日、この街は、増え続ける人口を支え、近くからも遠くからも観光客を惹きつける、比較的豊かで活気のある場所となっています。 |
希望する交流形態 |
経済交流(商工会議所やビジネス協会との関係)、文化交流、言語交流を優優先的に希望しています。 |
HP | https://www.lichfielddc.gov.uk |
(掲載年月 2024/3)
リグーリア州ジェノヴァ県サンタ・マルゲリータ・リーグレ(Santa Margherita Ligure)市 | |
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概況 | 人口:9,024人(2018年時点) 面積:10.04km² 【概要】 ・サンタ・マルゲリータ・リーグレ市はリグーリア海岸東部,ポルトフィーノ岬の北西部,ティグッリオ湾内に位置する。 ・同市街地は海岸松や栗の森,(海抜の低い地域では)オリーブの木といった地中海植物に覆われた丘に囲まれている。 ・丘の上からはポルトフィーノ市まで続く「コスタ・デイ・デルフィーニ」(イルカ海岸)の景色を見渡すことができる。 ・同市はリグーリア海岸東部の観光地・海水浴場として人気を博している。 ・同市内の一部は州立ポルトフィーノ自然公園に含まれる他,岬に面する海は海洋保護区となっており,両管理本部は同市に所在している。 【歴史】 ・大聖堂に保管されているラテン文書によると,同市の歴史は紀元3世紀にまで遡ることができる。 ・中世,現在のサンタ・マルゲリータ・リーグレ市には,ペシーノとコルテという2つの村があり,両村は激しい争いを繰り返していた。 ・1608年には両村とも近郊の町,ラパッロに併合されたが,1797年にそれぞれ独立を果たす。 ・ナポレオン統治下の1813年,両村はポルト・ナポレオーネの名で合併を果たす。その2年後,リグーリアがサルデーニャ王国へ併合されたことで,1863年の政令によりサンタ・マルゲリータ市が作られ,ビットリオ・エマヌエーレⅡ世により正式名称が定められた。 ・同市からポルトフィーノまでの道路と鉄道駅が作られたことで「コスタ・デイ・デルフィーニ」は最盛期を迎えた。 ・第二次世界大戦後,(ティグッリオの真珠としても知られる)サンタ・マルゲリータは,ポルトフィーノやパラッジの美しい入江と共に,現在も顕在するその魅力により,ますますその特異性を増している。 【観光】 (1)海岸遊歩道と観光港 (2)城と彩られた家々 (3)ドゥラッツォ宮 (4)チェルバーラ修道院 (5)パラッジ湾 (6)州立公園内の景色を眺むポルトフィーノへの道 2 名産 (1)「サンタ・マルゲリータ・リーグレ産赤海老」(DOP:保護原産地名称登録)。地元の特徴的な漁船団により陸揚げされる。 (2)バジルペースト,トレネッテ(地元のパスタ),フォカッチャなども有名。 (3)豊富な新鮮な魚介類のほか,野菜の詰め物やパイといった地元料理。 【同市と観光港を眺むパノラマ写真】 【海から眺む同市】 【ドゥラッツォ宮】 【チェルバーラ修道院】 【特産の赤海老】 【バジルペースト】 |
提携希望国・地域 | (1)山もしくは海といった自然環境による観光業が盛んな同規模程度の市町村を希望。 (2)美しい自然及び風景,環境がある,観光に特化した市町村であることが望ましい。 (3)同市には欧州・米国からの観光客は多いものの,日本人観光客はまだ少なく,姉妹都市文化交流などを通じ,日本人観光客を誘致することで同市のブランドを高めたい。 |
希望する交流形態 | (1)姉妹都市提携 (2)文化交流 (3)学生・研究者・自治体職員の相互訪問 |
HP | http://comunesml.it/(同市HP,イタリア語) http://www.livesanta.it/?lang=en (同市文化行事HP,英語) http://villadurazzo.it/?lang=en (ドゥラッツォ宮HP,英語) |
(掲載年月 2019/12)
ロンバルディア州パビア県ザバッタレッロ(Zavattarello)町 | |
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概況 | 人口:991人(2019年5月1日時点) 面積:38km² ・ミラノ市から南に100km程のところに位置。丘陵にある風光明媚な町。 ・イタリアの最も美しい村の一つに認定されている。 ・他の多くのイタリアの町がそうであるように,紀元前3-4世紀の遺跡がある。 ・中世に,軍事的要衝としてランディ家により支配された後,1390年にダル・ヴェルメ家の領地となる。1975年城とその周辺の丘がダル・ヴェルメ家から市民に寄贈。 ・ダル・ヴェルメ城からは,中世の町並みを見下ろすことができる。 ・蜂蜜が名産で、製品はEATALY(イタリアの高級食材店)でも販売。 ・ダル・ヴェルメ城は一般に公開され,絵画の展示会場としても使われている。この地方の芸術,文化及び農機具を集めた博物館(Magazzino dei Ricordi Museum)なども魅力的。 【シモーネ・ティリオ町長(左)と小官(町長室) 町の紋章は,林檎の木を守る鎖につながれたドラゴン】 【ダル・ヴェルメ城を眺む】 【ダル・ヴェルメ城から町を眺む】 【名産の養蜂】 【この地方の芸術,文化及び農機具を集めた博物館(Magazzino dei Ricordi Museum) 写真はピノキオ】 |
提携希望国・地域 | (1)人口1000名~5000名。 (2)ザバッタレッロ町が「イタリアの最も美しい村」に加盟しているため,日本に同趣旨の団体があればそこに加盟している自治体。 (3)丘陵地帯・山間地帯に位置し,温泉がある自治体で,農業及び観光を主産業とする。 (4)地理的類似性よりも,伝統的な祭りの存在や歴史の類似性による共通点を重視。 |
希望する交流形態 | (1)文化交流 (2)自治体・学生・生産者による相互訪問 (3)経済交流(例:農産品販売,産業事情についての相互理解・情報交換) |
HP | www.zavattarello.org/eng_index.html (イタリア語) |
提携希望理由 | 1879年,日本のイタリア大使館開設の機会に,当時の領主ルチアーノ・ダル・ヴェルメ伯爵が,イタリア国王の名代サボイア=ジェノヴァ家トンマーゾ・ジェノバ公に随伴して訪日し,明治天皇にも拝謁した。 ティリオ町長からは,このような日本との歴史的絆があることを背景に,是非日本に姉妹都市を見つけたいと強調。 人口規模から,町ではなく村と言っていい。 |
(掲載年月 2019/6)
シチリア州カターニア県サンタルフィオ(Sant' Alfio)市 | |
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概況 | 人口:1,664人 面積:23.62km² サンタルフィオ市の歴史は、17世紀末に遡り、細い道に主要な建物が立ち並ぶ旧市街の町並みが今日まで受け継がれてきている。 ・マードレ教会(Chiesa Madre) 溶岩でできたファサードと鐘楼を有するマードレ教会は最も興味深い建造物。教会はアルフィオ、フィラデルフォ、チリーノの三人兄弟に捧げられており、内部には大理石の祭壇、守護聖人である三人兄弟を描写する貴重な祭壇画がある。 ・カルヴァリオ教会(Chiesa del Calvario) 19世紀に遡る教会。 ・葡萄・ワイン博物 20世紀初頭におけるブドウ収穫をテーマとした常設展。サンタルフィオ市は、ブドウ栽培とマルタの騎士団や英国将軍に好まれたワインの生産によって発展してきた。 |
地形 | エトナ火山の東斜面に位置し、タオルミーナ市からアウグスタ市に至るシチリアの東海岸を見下ろす。 海抜400~3000メートルに及び、国際空港(カターニア・フォンタナロッサ)から車でカターニア・メッシーナ間を結ぶ高速道路A18のインターチェンジ「ジャッレ」から約4キロメートルに位置し、公共交通機関でのアクセスも可能。 また、サンタルフィオ市の象徴となった樹齢3,000~4,000年の「百匹馬の栗の木」がある。「植物学における大変素晴らしい現象」とスコットランドの作家パトリック・ブライドーネが1770年5月にシチリアへの訪問の際に評し、ヨーロッパで最も古い樹と考えられている。 |
産業 | アーモンド、ピスタチオ、ヘーゼルナッツまたはナッツペースト、ワイン、エトナリンゴ、ハチミツ、そして特にチェリーのペストリーなど、多くのシチリア特産品を生産。 |
文化 | 農業の伝統があり、ワインのほかに、エトナ山のチェリー、リンゴ、ヘーゼルナッツ、ハチミツなどの特産品を有する。 毎年6月末に「チェリー・フラワー・フェスティバル」を開催。エトナ山への深い愛と自然を敬う心を大切にしている。 |
教育 | 教育機関は幼稚園、小学校と中学校を有する。 |
提携相手先の条件 | 国際空港からのアクセスが良く、以下のような特徴がある姉妹都市を希望 ・グルメ文化 ・チェリー、リンゴ、花の生産 ・ワイン、ナッツ類、ヘーゼルナッツ、ハチミツの生産 ・自然と富士山への深い敬愛 ・フラワーフェスティバル |
希望する交流形態 | 日本とエトナ山・富士山の文化交流 食べ物と自然に関する文化交流 火山のある風景、エトナ山、そして特産品(ワイン、リンゴ、チェリー、ハチミツ、花、ナッツ類、ヘーゼルナッツ)と日本文化(農業及び伝統文化)、富士山など。 |
HP | www.comunesantalfio.gov.it |
連絡先 | Nilla Zaira D'Urso +39 3498231275 E-mail:nillazaira@gmail.it |
(掲載年月 2017/1)
ヴェネト州ベッルーノ県コルティーナ・ダンペッツォ | |
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概況 |
人口: 5,915人 (2015年8月31日現在) |
HP |
www.cortinadolomiti.eu(イタリア語のみ) |
提携希望先 |
日本アルプス(山、湖、温泉等) 以下のいずれかに該当するところ |
希望交流内容 | 観光、ウォーキング、文化と風習、料理 |
(掲載年月 2016/3)
マルケ州フェルモ県ラペドーナ町 | |
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概況 | 人口:1,169人 ラペドーナは、イタリア共和国の中部にあるマルケ州に位置し、面積は14.93km2。町の中心部は、標高263mの小さな丘の上にあり、海とシビッリー二山地からも近い。歴史的な教会や中世からの建築物も残っている。町の周辺には、豊かな自然景観や田園風景が広がる。 町の産業の9割は観光業、靴の製造業が残りの1割を占めている。 |
HP | http://www.comunedilapedona.it/(イタリア語のみ) |
提携希望先 | 文化・食文化の交流に興味がある人口規模が小さい自治体、歴史的な寺院が残っている町 |
希望交流内容 | ウォーキング、水泳、農業、文化、食文化 |
(掲載年月 2015/8)
トスカーナ州アレッツォ県アンギアーリ | |
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概況 | 人口:約5,800人 トスカーナ州の東部に位置し、総面積は130.51km2。「イタリアの最も美しい村」に認定されている。また、地方中小都市のスローな生活と環境を尊重する運動である「チッタ・スロー協会」に加盟している。 1440年、アンギアーリにある橋を巡ってフィレンツェ軍とミラノ軍の間で争われた「アンギアーリの戦い」の舞台となったことでも知られる。 街は城壁に囲まれていることから、観光客もあまり多くはなかったが、近年、「アグリツーリズモ」と呼ばれる農業体験民宿が盛んで、観光の中心となっている。 前述「アンギアーリの戦い」をレオナルド・ダ・ヴィンチが描いた絵画が存在したとされているが、現在はピーテル・パウル・ルーベンスによる模写のみが存在している。 |
HP | http://www.comune.anghiari.ar.it/(イタリア語のみ) |
提携希望先 | 古戦場など、歴史のある町・村 |
希望交流内容 |
(掲載年月 -/-)
カタルーニャ州リェイダ県プラ・ドゥルジェル郡イバルス・ドゥルジェイ(Ivars d'Urgell) | |
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概況 | 人口: 1,553 人 (2021年時点) 面積: 24,32km2 【概要】 イバルス・ドゥルジェルはプラ・ドゥルジェル郡の町であり、ヴァルヴェルデと共にイヴァルス湖とカタルーニャ最大の面積を持つビラサナ湖に近接しています。 2005年以降の貯水池の回復により、数百種類の鳥類が生息する貴重な自然環境です。その生物多様性から、多くの自然愛好家や専門家、科学者などを惹きつけています。私達はこの美しいプラ・ドゥルジェルの中心部に生まれたイバルス・ドゥルジェルという自然のオアシスを大切にしています。https://estanyivarsvilasana.cat 【イバルス・ドゥルジェル町とビラサナ湖 (写真提供: エドガー・アルダナ)】 【イヴァルス・ドゥルジェル町とビラサナ湖 (写真提供: エドガー・アルダナ)】 イヴァルス・ドゥルジェル町は、長い冬には濃い霧が立ち込め、夏には強い日差しが照りつけるという気候のコントラストに恵まれた農畜産物の伝統ある町です。1862年のウルジェル運河によって灌漑が可能になりました。このように、多様な作物、そして農業技術がこの土地を彩り、地形を構成しているのです。
現在、町議会と町のアーティストのスウェン・シュミッツが推進する文化活動、「壁画百科」プロジェクトが行われています。このプロジェクトは町内の家の壁に生物を大規模に描く事によって、壁画を通して貯水池で発見された生物種に関する知識を共有しようという取り組みです。 2022年5月にジェニス・カステリョ氏、マリオナ・ソラナ、イバース氏の任意団体「ロ・ジョベント」によって、日本文化フェスティバル「マツリ・デ・ポネント」が開催されました。 町議会の協力のもとこのフェスティバルは、美食、ワークショップ、展示、情報提供や文化講演などを通じて、日本文化を「ポネント」の土地に近づけることを目的としています。【歴史】 ウルジェル伯爵アルメンゴル4世がこの村を征服した後に、アラブ人の襲撃を防ぐため、監視塔のある城が建てられました。 ブルボン家とハプスブルク家の間で勃発した継承戦争中の1705年には、スペイン王フィリップ5世が町の邸宅の一つに滞在しました。
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HP |
https://ivarsurgell.ddl.net/ (スペイン語のみ) |
提携希望先 |
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希望交流内容 |
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連絡先 |
ジャニス・カステジョー(Genís Castelló) +34 669761707 geniscastello@gmail.com |
(掲載年月 2023/03)
オーヴェルニュ=ローヌ=アルプ地域圏ドローム県ヴァランス市(Valence, Drôme) | |
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概況 | 人口:63,714人 面積:36.69km² 【概要】 フランス南東部に位置するローヌ=アルプ地域圏のドローム県にヴァランス市があります。リヨンから南に約100㎞程の所に位置し、パリと地中海の間の強制通路のポイントの一つです。TGV(新幹線)ではパリから約2時間の距離にあり、またA7、A49の高速道路網の交差点に位置しており非常に交通の便が良い立地であります。 果実、野菜、ワインなどを生産する農業を始め、エレクトロニクス、航空宇宙産業、多くの革新的な中小企業と機械産業などを主とし、大規模な大学センターや、国際的大手アニメーションスタジオなどもあります。またフランスの中でも美食の街として知られています。 |
HP | 【ヴァランス市のHP】https://www.valence.fr/fr/index.html |
提携希望先 | ― |
希望交流内容 | 経済交流を中心にスポーツ、文化なども幅広い交流に繋げていきたい。 |
(掲載年月 2021/04)
プロヴァンス=アルプ・コート・ダジュール州ヴォークリューズ県モリエール・レ・アヴィニョン市(Ville de Morières-lès-Avignon) | |
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概況 | モリエール・レ・アヴィニョン市は、フランス南東部プロヴァンス=アルプ・コート・ダジュール州のヴォークリューズ県にあり、アヴィニョン・プロヴァンス空港から5分、法王庁が置かれたアヴィニョンから10分、フランス第2の都市マルセイユから1時間10分の場所に位置する。人口8,317人(2017年現在)、面積10.35㎢のコミューン。 【アヴィニョン市の風景】 中心市街地やアヴィニョン市郊外の都市化が進み、過去5年で6%超の人口増の一方、市の西部には穀物平野、東部にも耕作された丘陵地が広がっている。プロヴァンス地方のアイデンティティともいえる古くからのプロヴァンス様式の建物やブドウ畑も多い。 近隣にはリュベロンの村々、アルピーユ、ヴァントゥ山、地中海といった世界的に有名なプロヴァンスの観光資源があり、気候に恵まれている。 文化政策に力を入れており、Espace Culturel Folardではダンス、音楽、絵画、現代美術、演劇、映画などあらゆる文化芸術に触れることができる。10周年を迎えた2019年には120を超えるライブパフォーマンスイベント、展示会、文化展、ゲームフェスティバルが開かれた。また、毎年開かれている国際的ジャズイベント「Festival des Vents」には多くの観客が集まることで知られている。 【Espace Culturel Folard】 市内には、120以上の市民団体(アソシアシオン(NPOに相当))があり、活発に活動している。 高速道路、TGV(フランス版新幹線)の駅も近く、上記のとおり交通の便のよい立地である。 |
HP | 【モリエール・レ・アヴィニョン市のHP】http://www.ville-moriereslesavignon.fr/
【Espace Culturel Folard の紹介】https://vimeo.com/317268880 |
提携希望先 | ― |
希望交流内容 | 文化交流や姉妹都市提携 (文化、スポーツや行政による交流により、他の文化に、より開かれたまちづくりを希望) |
(掲載年月 2020/3)
オー=ド=フランス州オワーズ県トラシー・ル・モン (Tracy le Mont) | |
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概況 |
【地理】 トラシー・ル・モンは、パリから約90キロ北東、コンピエーニュ(白河市と姉妹都市)から15キロ、シャルル・ド・ゴール空港から車で約45分、パリやボーヴェ空港から車で約1時間のところに位置し、面積は約19 km2、人口約1750人のコミューン(フランスの基礎自治体で、日本の市町村に相当)である。 3つの国有林が交差する位置にあり、ぶなとオークの木が育む広大な自然があり、ウォーキングやハイキング、サイクリングを楽しむことが出来る。また、多くの巡礼者が辿るスペインのサン・チャゴ・デ・コンポステーラへの巡礼路の一つでもある。 【歴史】 トラシー・ル・モンは肥沃な土地柄であり、中世時代には農業が発達した。19世紀になると、ブラシ産業が誕生し、最盛期には労働者は2000人を数え、日本やアメリカにもその技術が伝えられた。 1914年には1950人に達した人口も、第一次世界大戦の戦場となったことから、人口は減少の一途をたどり、1920年までに街の8割が破壊され、住民はわずか700人となった。 第一次世界大戦後、ブラシ産業を再興させようとしたが、激しい市場競争にさらされ、ブラシ産業は危機的状況に陥った。 現在は、小規模企業の誘致に力を入れており、約10の小規模企業がこの地で企業活動を行っている。また、近くの都市に通勤するために、この街に移住する人が増えており、第一次世界大戦後100年の現在では、ピークであった1914年時の人口にはわずかに届かないが、約1750人が生活している。また、コミューン内には第一次世界大戦で戦死した3000人以上の仏軍兵士の墓地があり、戦争の歴史を残すために、2011年に6キロにわたる記念道を整備した。 【産業】 現在、トラシー・ル・モンは特に手工業者やその販売に携わる人の定住を促進しており、コミューン共同体(フランスの基礎自治体が集まって構成されている広域行政組織)のリジェール・ドゥ・ロワーズ・コミューン共同体(CCLO)の支援を受け、スーパーや駐車場を有する商業ビルを建設した。 また、農業では、コミューンの東部で、穀物やビート、ジャガイモの栽培を行っている。 【人々の生活】 コミューン内に、サッカー場、シティスタジアム、テニスコート、図書館、多目的スポーツ施設があり、10キロ圏内にはコミューン共同体が保有する2つのプール及びスポーツホールもある。スポーツや文化などの分野で合気道、柔道、空手、ダンスなど20のアソシエーションがあり、住民に様々なプログラムを提供している。また、全国的にも有名な射撃クラブやアーチェリークラブなどもある。 【現在のコミューンの取組】 昼夜人口差の問題などを解決し、人口学的に調和のとれた街の発展及び人々の交流を目指し、CCLOや県、州、企業など様々な関係機関と連携しながら、小規模企業の誘致・定着を促進し、活気のある街づくりに取り組んでいる。 また、「ブラシの郷」として、ボランティアの手により、日本とも縁が深いかつてのブラシ工場の再建を図っている。このプロジェクトは、荒廃した工場跡を博物館や工房にかえることで、芸術家、手工業者、市民が集える場を創出することを目的としている。 その他、道路や駐車場、庭園などの公共エリアの維持管理に、化学薬品を使用しないなど、環境に配慮した取組や、毎年夏の3週間、歴史遺産の修復に携わる青年ボランティアを国外から受け入れている。 |
HP | 【トラシー・ル・モンのHP】http://www.tracy-le-mont.org/
【CCLO関連記事】http://clairparis.org/images/フランスにおけるコミューン共同体運営_リジエールドゥロワーズコミューン共同体を例に.pdf |
提携希望先 | ― |
希望交流内容 | ― |
(掲載年月 2019/2)
オー=ド=フランス州エーヌ県サン・カンタン (Saint Quentin) | |
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概況 |
サン・カンタンは、フランス北部の、パリとリールの中間地点に位置する、面積22 km2、人口約57,500人のコミューン(フランスの基礎自治体で、日本の市町村に相当)である。 サン・カンタンを含むサン・カンティノワ都市圏共同体はロボット産業都市として積極的な企業誘致をしており、また、フランス政府が立ち上げたスタートアップ企業支援策であるフレンチ・テックの中心地である。主要産業は企業的農業や物流、及びロボット工学やハイテク産業であり、6,000を越える企業と約30,000もの雇用がある。 サン・カンティノワ都市圏共同体は現在以下の4つを軸として、市民の生活をよりシンプルに、かつ、より環境に優しいものにするために「スマート・シティ」を目指している。 |
HP | 【サン・カンタンのHP】http://www.saint-quentin.fr/ 【サン・カンティノワ都市圏共同体のHP】http://www.agglo-saintquentinois.fr/ 【サン・カンタン観光局のHP】https://www.saint-quentin-tourisme.fr/ |
提携希望先 | ― |
希望交流内容 | 特にロボット産業での技術交流や情報交換、学生同士の短期交換留学など。 |
(掲載年月 2018/6)
オーヴェルニュ=ローヌ=アルプ州ケンヤ町 (Cunlhat) | |
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概況 | 人口:1,477人 農畜産、林業が主な産業。オーヴェルニュ=ローヌ=アルプ州に統合されたオーヴェルニュ州の州都(クレモン・フェラン)から東へ50キロメートル。町の周囲は森林及び農村地帯。 芸術による町の活性化を図っており、町に美術工芸家が多く住むようになってきている。町役場、中心の広場に作品が常設されている。県による建物美化事業が2つの建物で実施されていた。日本の伝統的芸術(木版画等)に関心が高い。 |
HP |
【ケンヤ町のHP】 http://www.cunlhat.fr/ |
提携希望先 | 芸術家の交流ができること。 |
希望交流内容 | 来町した芸術家が製作活動を町内の芸術家と共に行い、町民との交流を望む。 |
(掲載年月 -/-)
グラン・テスト州モーゼル県マルリー市 (Marly, Moselle) | |
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概況 | 人口:10,139人 フランス北東部、ドイツとの国境沿いに位置するグラン・テスト州モーゼル県の県庁所在地メッス市(Metz)に隣接する人口およそ1万人の都市(面積10.8平方キロメートル)。パリからTGVで1時間20分、ストラスブールから車で1時間半、ドイツ・ルクセンブルク国境からは車で45分などと、交通の便の良さから国内外の交流が盛んな市である。 【マルリー市役所】 マルリー市は、紀元前後のローマ人入植のころに作られた都市に起源を持つが、近年はメッス都市圏として商業が盛んな地域として発展している。良好な交通アクセスに恵まれていることから、現在、市内に6つのビジネスゾーンを設定し、オフィスビルなどのビジネスインフラ整備を行い企業の誘致を行っている。 19世紀に建てられたサン・ブリス教会に加え6つもの古城が残っているなど文化遺産が多いだけでなく、市内を流れるセイユ川沿いを中心として美しい歴史的な景観や豊かな自然景観が多く保持されている。 【マルリー市のシンボルであるサン・ブリス教会】 また、人と「モノ」の活発な交流に伴う文化的な交流活動も盛んである。マルリー市は、ヴァイサッハ・イム・タール市(ドイツ)とマイスキー市(ロシア)と姉妹都市提携を結び国際的な交流を行っている。 また、音楽では定期的にコンサートを開催しているマルリー交響楽団の本拠地であることに加え、マルリー・ジャズ・フェスティバルが毎年開かれている。 |
HP |
【マルリー市のHP】http://www.marly57.fr/ |
提携希望先 | ― |
希望交流内容 | 文化・経済交流を中心とした自治体交流を希望 |
(掲載年月 -/-)
ポーランド
ルブリン市 | |
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概況 | 人口: 348,450人 ポーランド東南部に位置するルブリン市は、面積が約147.5 km2、国内で9番目に大きな都市である。市内には、4つの大学を含む6つの高等教育機関や複数の私立教育機関があり、90,000人の学生が在籍している。 経済面に関しては、主要産業は自動車関連技術、電力、家具生産及び食品加工である。また、ビジネスに特化したサービス業務を立ち上げるにも理想的な拠点であり、IT及び業務のアウトソーシング関連の投資を行うにも適している。 ルブリン市では、年間を通し、多くの祭り、演奏会及び芸術イベントなどが開催され、主要な文化的中心地でもある。2016年「欧州文化首都」(European Capital of Culture)の候補として選ばれたこともある。 ルブリン市は東アジアに関心を持っており、中国の2都市と姉妹提携し、最近では東京にも訪問を果たした。若い世代も同様で、市内のマリー・キュリー・スクウォドフスカ大学政治学部には、学生が組織する東アジア同好会があり、様々な企画を行っている。この同好会が2011年1月10~11日に開催した「Japan Day」に、当時の楠本祐一在ポーランド特命全権大使が招待された。 |
HP |
http://www.lublin.eu/en (英語のみ) |
提携希望先 | ルブリン市と同規模の都市 |
希望交流内容 | 教育、文化、経済協力 |
(掲載年月 2012/7)
マケドニア旧ユーゴスラビア共和国
カヴァダルチ県 ( Kavadarci ) | |
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概況 | 人口:38,391人 「カヴァダルチ」という地名が歴史的文献に 登場したのは1519年、小さな農村だったという記録がある。現在、県は1つの市で構成され、4つの区内に55の町がある。 カヴァダルチ県は、南をギリシア共和国に面したマケドニア南部の県で、ヴァルダル地方の大部分を占めている。県の標高は23mから270mと起伏のある地形で、大きな河川と湖に恵まれた自然豊かな美しい風景を誇る。 また、高速道路で他県とつながっており、交通の便も良好である。 主な産業は農業で、人口の約6割はブドウ栽培に従事しており良質なブドウを栽培している。県内にあるティクベシュ園はバルカン広域最大のワイナリーであり、その他30もの民間ワイナリーがある。また、県内にはマケドニア有数のタバコ加工工場もある。 ブドウ栽培や収穫、また音楽に関する祭事が多くある。 県内には幼稚園が5、小学校が6校ある。高等教育では、文系、農業系、技術系の高校がある他、ワイン醸造学とコンピューター科学が学べる専門学校がある。 |
HP | - |
提携希望先 | 人口が同規模かそれ以上の自治体 |
希望交流内容 | 教育、文化、行政、地方自治、観光、科学、美術、環境保全 |
ゴルジュ県トゥルグ・ジウ市 (Târgu Jiu) | |
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概況 | 人口:97,591人(2020年時点) 面積:102km² 【概要】 ルーマニアのオルテニア地方、ゴルジュ県の県都であるトゥルグ・ジウは「ブランクーシの街(City of Brâncuşi)」として知られている。その由来となったコンスタンティン・ブランクーシはルーマニアの20世紀を代表する彫刻家であり、彼が幼少期を過ごしたトゥルグ・ジウの街には、「the Table of Silence」「the Alley of Chairs」「the Kiss Gate and the Endless Column」など彼の有名な彫刻作品で構成された記念碑的なアンサンブル「ヒーローズウェイ(The Path of Heroes)」が残されている。 町の中心を走る長さ1.5kmの「ヒーローズウェイ通り(The Way of Heroes Street)」には1777年に建設された「使徒ピーター&パウロ教会(the Church of the Apostles Peter and Paul)」があり、1927年〜1938年の再建を経て、現在ではブランクーシの作品群と共にトゥルグ・ジウの主要な観光スポットとなっている。また、ヒーローズウェイ通りにあるブランクーシの彫刻作品「Endless Column」は、トゥルグ・ジウの紋章にも描かれている。 【歴史】 ● トゥルグ・ジウの市名は、市内を流れる川「ジウ(Jiu)」に由来している。 ● 硬貨、陶器、ローマのレンガなどが発掘中に発見されたことから、ローマ帝国の支配下にあった商業都市(ウィクス)であったと考えられる。 ● 1247年7月2日、ハンガリーのベラ4世国王によって発行された最初の公文書が残されている。 ● トゥルグ・ジウの記述は、1406年の文献(1406年11月23日以降 ミルチャ1世が署名した指示書)に初めて登場する。 ● 1497年以来、ゴルジュ県の県都となっている。 ● トゥルグ・ジウのクンプ・マレ村(Câmpu Mare)はカルパチア山脈の広大な谷のひとつであり、地理上はゲタイ・サブカルパチアの区域に位置している。 【歴史上の偉人】 ● トゥドル・ウラジミレスク - Tudor Vladimirescu(1780-1821): 1821年のワラキア蜂起の指導者。ゴルジュ県ヴラディミル出身。 ● コンスタンティン・ブランクーシ - Constantin Brancusi (1876-1957):ルーマニアの20世紀を代表する彫刻家。ゴルジュ県のホビツァ村出身。 ● エカテリーナ・テオドロイウ - Ecaterina Teodoroiu(1894-1917):第一次世界大戦のヒロインとして知られる女性のルーマニア軍少尉。ヴァデニ村(現在はトゥルグ・ジウの一部)出身。 ● ゲオルゲ・マゲル - Gheorghe Magheru(1802-1880):トゥドル・ウラジミレスク率いる軍の元司令官。ルーマニア国民党の創設メンバー。 ● ゲオルゲ・タタレスク - Gheorghe Tătărescu(1886-1957):政策によってルーマニア経済を回復させたルーマニアの元首相。 【経済】 トゥルグ・ジウでは、オルテニア盆地で採掘される亜炭を利用した電気と熱の生産が行われている。主要な生産施設である「SC Energetic Complex Oltenia SA 」は、年間3,400万トンの亜炭生産能力を有しており、2013年には発電量12TW/時(ルーマニアの発電量の20%に相当)を達成した。他にも、鉱山設備、セメント、タイルなどの建設資材、工業用ゴム製品、機械製造などに関連する大手企業が存在しており、地場産業を支えている。 【教育】 教育は重視されており、トゥルグ・ジウには自動化や生物学、数学、経済学など様々な専門分野の教育機関が揃っている。主な国立の教育機関としては「トゥドル・ウラジミレスク大学」や「スピル・ハレット大学」、「ヴァージル・マジャール産業大学」の他、ブランクーシにちなんだ「コンスタンティン・ブランクーシ大学」などがある。 【観光】 トゥルグ・ジウの街では、ブランクーシの彫刻作品の他にも、「県立博物館」や「トゥドル・ウラジミレスク公園」「修道院」「ブランクーシやウラジミレスク、テオドロイウなどが過ごした家屋」など、多くの観光スポットがある。夜間はライトアップも行なっているため、昼とは違う幻想的な街並みを楽しめる。 街の観光以外にも、洞窟や峡谷、滝などを訪れたり、ボルダリングやラペリング、フライング・フォックス、マウンテンバイクなどのアクティビティを体験できたりと、自然を堪能するためのスポットも充実している。 |
HP | http://www.targujiu.ro/portal/gorj/tgjiu/portal.nsf/Index/100?OpenDocument |
希望交流内容 | 1.姉妹都市提携 2.文化芸術交流 |
(掲載年月 2021/6)
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リッチフィールド地区カウンシル |
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106,000名 |
Area |
331.3 km2 |
リッチフィールド地区(Lichfield District)は、イングランド、ウェスト・ミッドランズ州スタフォードシャーにある地方自治体で、地区名は最大の居住地であるリッチフィールド市にちなんでいます。リッチフィールド地区には、バーンウッドとフェイズリーの町があり、その周辺には多くの村や農村地帯があります。 リッチフィールド地区には、3つの階層(レイヤー)の地方自治体があります: ・スタッフォードシャー州議会は、交通機関などのサービスや、公衆衛生、児童福祉、成人福祉ケアなどのサービスを提供している。 ・リッチフィールド地区カウンシルは、住宅、計画、地方税、福利厚生等のサービスを提供している。 ・28のパリッシュ・カウンシルは、重要な市民的機能や遺産保護に加え、タウン/ビレッジ・ホール、市民菜園地の割り当て、計画申請への対応など、多くの地域サービスを担っている。 |
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https://www.lichfielddc.gov.uk |
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提携地域について特段の希望はありませんが、リッチフィールド地区の特徴をいくつか挙げておきます。 リッチフィールド地区の地理、経済、集落、文化、遺産の多様性は、他にはないセールスポイントです。特に文化と遺産については、歴史的な都市(2021年の国勢調査でリッチフィールド地区の人口の3分の1以上(約35,000人)を占める)、豊かな産業遺産を持つ都市部、バーンツッドの鉱業、キャノックチェイス、運河網の中心地であるアーミテージ、トレントバレーとチェイスの田園地帯があります。 軍事の伝統も色濃く残り、国立記念樹木園もあります。古くからある村の多くには、中世の教会[Clifton Campville, Hamstall Ridware]があります。 重要な集落は、統一国家としてのイングランドが存在する以前からあり、この地区は、アングロ・サクソン時代のイングランドとヴァイキングが支配していた地域の境界に位置しています。キリスト教の宣教師聖チャドは西暦700年にリッチフィールドに教会を設立し、リッチフィールドはマーシア王国の教会の中心地でした。 最近の重要な考古学的発見は、メルキア文化の豊かさを明らかにしています(リッチフィールドの天使、スタッフォードシャーの宝庫)。リッチフィールドの街路計画は12世紀に確立され、その壮大な3つの尖塔を持つ大聖堂(イングランドで唯一のもの)は、大部分が13世紀の建物です。 最近まで、リッチフィールドは大きな教区(宗教改革以前はチェシャーまで広がっていた)の中心地であり、ロンドンからチェスター(そしてそこからアイルランドへ)、バーミンガムからダービーへの幹線道路に面していました。常に専門家、弁護士、知識人の街であり、ホスピタリティとコーチング業が盛んでした。現在もホスピタリティと観光経済が盛んで、技術やICTビジネス、法律や専門職の雇用も多いです。 17世紀半ばの内戦の間、大聖堂は強力な王党派の駐屯地となり、長い包囲戦の後、国王自身が敵に降伏して初めて議会軍に降伏しました。 大聖堂のほかにも中世の名建築がいくつか残っており、ジョージ王朝時代(18世紀)の市場都市としての特徴を残しています。 17世紀にリッチフィールドで生まれた著名な人物としては、オックスフォードのアシュモレアン美術館の創設者エリアス・アシュモールや、人口学者・統計学者の先駆者グレゴリー・キングなどが挙げられます。リッチフィールドは、サミュエル・ジョンソン博士の生誕地としてよく知られていますが、18世紀、「リッチフィールド啓蒙主義」と呼ばれた時代に、この街で文化活動が盛んに行われたことは特筆に値します。注目すべき人物には、詩人のアンナ・セワードや、医師・科学者・詩人のエラスマス・ダーウィン(チャールズの祖父)がいます。ダーウィンは、マシュー・ボールトン、ジョサイア・ウェッジウッド、ジョセフ・プリーストリーなど、リッチフィールドの科学者、哲学者、企業家を集めてしばしば開かれた「ルナー・ソサエティ」の主要メンバーでした。 シュロベティード・フェア、セント・ジョージ・デー、「バウワー・デイ」のフェアとパレード、保安官の乗馬、ジョンソンの誕生日など、古くから伝わる祭りや儀式の現代的な再現を市議会は支援しています。これらの行事は、より新しく革新的な行事に混じって位置づけられています。劇場も盛んで、ギャリック劇場(ロンドンで有名になったリッチフィールド出身者にちなんで名づけられた)、パフォーマンスや展示のための新しいクリエイティブ・スペース「ハブ・アット・セント・メアリーズ」があります。リッチフィールド・フェスティバルは、毎年夏に11日間にわたって開催される総合芸術イベントで、40年以上続いている。食べ物や飲み物のフェスティバル、クラフトフェア、ショーやコンサートがない週末はめったにありません。今日、この街は、増え続ける人口を支え、近くからも遠くからも観光客を惹きつける、比較的豊かで活気のある場所となっています。 |
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経済交流(商工会議所やビジネス協会との関係)、文化交流、言語交流を優優先的に希望しています。 |
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