多文化共生関係資料
東日本大震災支援活動記録
在住外国人による支援活動
■仙台市災害多言語支援センター留学生ボランティア
<活動紹介>
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東日本大震災ではどんな活動をしましたか?
仙台市には2,000人以上の留学生が住んでおり、その多くが一人暮らしをしています。3月11日、東日本大震災が発生し、日本に大きな被害をもたらしました。仙台市も数分間に渡って激しい揺れが続きました。何があったかすぐにはわかりませんでしたが、何か大変なことが起きたに違いないと感じました。仙台市災害多言語支援センターにてミーティング |
私たちは、「仙台市災害多言語支援センター」で主に多言語での情報提供に携わりました。3月12日から15日まで24時間体制で電話相談を受け付けていたため、留学生でシフトを組んで、日本人スタッフと力を合わせて次から次へとかかってくる電話に対応していました。夜中の4時を過ぎても電話が鳴り止むことはありませんでした。市内に住んでいる外国人はもちろん、県外の外国人、日本人、さらには、各国大使館やメディアなど、世界の様々なところから相談が寄せられました。その内容は、安否確認、原発、交通情報、在留資格など、多岐にわたっています。電話相談対応のほかに、仙台市災害対策本部からの情報を多言語に翻訳して発信したりもしていました。
どんな思いで活動をしましたか? また、活動の際に難しいと感じた点、助けになったことは?
仙台市災害多言語支援センターにて活動の一場 |
一刻一刻と変わる状況の中で、正直迷いや葛藤もたくさんありました。原発の状況が予測できない中、多くの人が先を争って仙台市から出ようとしていました。バングラディシュやスリランカ、中国、アメリカなどの大使館から帰国支援のバスが出され、たくさんの留学生の友達がそのバスに乗って空港へと向かいました。まるでもう二度と仙台で会えないような別れの挨拶も交わしていました。
多言語支援センターで活動しているとき、「すぐに帰国するように」と海外にいる母親が泣きながら何度も電話をかけてきました。自分たちは日本人スタッフと一緒に活動を続けるのか、留学生の友達と一緒に大使館のバスに乗り、心配している親の元に帰るのか・・・と本当に悩みました。しかし、多言語支援センターで外国人のために懸命に活動している日本人スタッフや先輩留学生の姿を見て、「何があってもここの仲間たちと一緒に乗り越えるんだ!」と決意し、そのまま活動を続けることにました。
テレビの原発報道を見ながら、怖くて思わず泣き出した友達もいました。連日の活動の疲れやいつ何がどうなるのかわからない状況で、さらには海外にいる家族からの帰国要請のプレッシャーを感じる中、心が何度も折れそうになりました。しかし、外国人のために懸命に活動している日本人の仲間や先輩を見ると、なぜか不思議と力が沸いてきました。あのときほど、「国や文化、言葉に関係なく、みんな同じ仲間なんだ!」と強く思ったことはありません。みんながお互い仲間の友情に助けられ、支えられていたと思います。
支援活動を通じて感じたこと、気づいたことを教えてください。
最も印象的だったのは、何といっても日本人スタッフの優しさです。防災知識がなく、言葉も通じない外国で災害に遭うのは、どれほど心細いか想像できますか。日本が大きな災害に遭い、日本人を救助することで精一杯の状況の中でも、外国人のことを助けてくれる日本人が大勢いました。そんな優しい日本人に心から感謝しています。自分たちは留学生ではありますが、日本社会、仙台市の一員だと思っています。助けてくれる日本人への恩返しができる機会がやってくるかどうかはわかりませんが、これからも仙台で頑張りたいと思います。そして、母国にいる家族や友人に日本人の優しさをもっと伝えたいと今まで以上に強く思います
今後はどんな活動を予定されていますか?
今回の多言語支援センターでの活動を通して、日本のことがもっと好きになった留学生がたくさんいました。これからも日本で生活したいと多くの留学生が思っています。そのため、まず優秀な成績で卒業できることを目指したいと考えています。その後、日本で就職して、本当の日本社会の一員として周りの人とのつながりを大事にしながら頑張っていきたいと思います。
最後にこのサイトを見ている人にメッセージをお願いします。
仙台市災害多言語支援センターで活動した仲間たち |
国や文化、言葉を越えて、私たちの心は一つです。
<連絡先> 団体名: 財団法人仙台国際交流協会 |