多文化共生関係資料
東日本大震災支援活動記録
在住外国人による支援活動
■日系ユースネットワーク(Nikkei Youth Network)
<インタビューイー紹介> 打村明(うちむら・あきら)さん チリ出身。2004年に来日。 世界各国の「日系」ユースリーダーのグローバルネットワーク構築を目的に、2010年6月に団体設立、事務局長に就任。 「Japan+You=WOW」をテーマにマルチカルチャルな日系ユースがアイディアやプロジェクトをシェアするサイト「Hana.bi」の運営や、日本財団学生ボランティアセンター(Gakuvo)とコラボし、日本にいる留学生を被災地に派遣する「IS Volunteers」などの事業を行なっている。
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東日本大震災ではどんな活動をしましたか?
避難所でのボランティア活動 |
チャリティーイベント「ペルーフェス」 |
そして、国際協力NGO・ピースボートとコラボレーションし、石巻にボランティアリーダーとして参加しました。日系ユースネットワーク(以下、NYN)の代表として、東北で何が起きているのか、どういう支援が必要なのかが知りたく、昔働いていたピースボート事務所に問い合わせ、ボランティアリーダーとして3月28日に石巻に第一陣として10日間行きました。活動内容は主に炊き出しや、ヘドロを家や施設から撤去する作業、流された私物を役所に持って行き所有者がいれば渡すということをしました。(※2)
また、日本財団学生ボランティアセンター(通称:学ボ)とのコラボレーションで、留学生をメインに在日外国人ボランティア志望者を東北に派遣しました。(※3)
ボランティアとしては被災地での活動に参加できないが、何か支援をしたいという関東在住外国人も多く、チャリティーイベント「ペルーフェスContigo Japon」を開催したりもしました。(※4)
※1.http://japankizuna.hana.bi/articles/
※2.http://bit.ly/zwO0lj
※3.http://bit.ly/Avb2kR(動画)
※4.http://bit.ly/wW3J3z
どんな思いで活動をしましたか? また、活動の際に難しいと感じた点、助けになったことは?
「3.11」の3週間後に初めて石巻に行きましたが、とにかく悲惨でした。道路や家に、ヘドロだけでなく雪も積もっていました。家族4人で一日おにぎり1個という生活を10日間もしていた人や、震災のショックで身動きができなくなってしまった人、家族や財産すべてをなくしたのに朝晩ほかの人のためにがんばっている地元ボランティアの人の姿を見ながら、私も10日間ボランティアを行いました。精神を集中させ、悲しさと無力感に負けないで、現地の方に笑顔を見せるのが一番つらかったです。
支援活動を通じて感じたこと、気づいたことを教えてください。
たくさんありすぎてすべてをお伝えできませんので、この一年間被災地などでボランティアをしていて、とくに心に残ったエピソードをいくつかお話したいと思います。今もこのときの思いを忘れず、東北の復興を願ってボランティア活動を続けています。3月29日、私たちボランティアチームが泥掻きをした港小学校が卒業式を行うというニュースがありました。私たちは作業をしながら、ラジオに耳を傾けました。
「通常のプログラムを変更し、港小学校の卒業式をお送りいたします。この小学校は、卒業式をあげることができた4校の小学校のうちの一校です。卒業式ができたのも、ボランティアによる泥掻きの努力のおかげです。」
その女性アナウンサーは泣き出して、ついには話すことができなくなりました。そのアナウンサーの子どもがその中にいたのか、私たちにはわかりませんが、彼女の感情が伝わってきて私たちも涙をこらえられませんでした。しばらくすると、アナウンサーは児童たちの卒業スピーチを紹介し、最後に担任の先生のスピーチが流れました
「卒業生のみんな、今日でみなさんは卒業します。小学校を卒業し、学生としての人生を歩み続ける特別な一日です。 私たちの町では, 壊滅的な津波によって私たちが愛する人々、私たちの家、そして数週間前に校舎に埋めた、あなた方が二十歳の時に開けるタイムカプセルまでもが流されました。今回の津波は私たちから、これらすべての物を奪ったけれど、みんなは生きている。みんなの思い出がたくさん詰まった学校があります。そして、私はみんなのことを誇りに思っています。 みんなのことは、私の心の中に刻まれています。ここで、みんなと約束したいことがあります。8年後、あなた方が二十歳を迎える年の3月11日14時46分ちょうどに、この学校で会いましょう。これは、私がみんなに与える最後の宿題です。今起きている事を思い出し、その後みんながどう成長したのか、会える日を楽しみにしています。」
先生は泣きながら、書くのに一晩かかったというスピーチを終えました。津波で流された卒業証書は自衛隊が取り戻し、きれいにして児童一人ひとりに手渡されました。卒業証書のいくつかは、まだ汚れていましたが、何が起きたかのかを示すしるしとして、 そしてまだ生きているという証として、この卒業証書を使うことにしたのだそうです。
私はこの学校の卒業生でもなく、この地域の出身でもありませんが、8年後ここに戻りたいと思いました。東北が復興し、この子どもたちが立派な成人になっているのを、この目で確かめたいです。それには今、私たちもがんばらなければなりません。
今後はどんな活動を予定されていますか?
今後も留学生ボランティアの募集と派遣、被災地からの情報発信を続けていきます。また現在、今年5月に宮城県唐桑でオープン予定の、日系アメリカ人と日本人学生による「まちづくりJステーション」建設に向けてサポートをしています。Jステーションは、仮設住宅社や自宅避難者、学生ボランティア、留学生、外国人、唐桑の名物商品、国内外の消費者などさまざまな団体・個人をつなげる総合コミュニティセンターです。【まちづくりJステーション】
http://bit.ly/zqrR6D
最後にこのサイトを見ている人にメッセージをお願いします。
私がボランティアをしている間、国内外から送られた支援物資を避難者に届けるのも一つの仕事でした。驚いたことに、各支援物資の段ボール箱には、送ってくださった方やその家族からのメッセージが入っていました。何百個開けたかわかりませんが、その中で一番心に残ったものをご紹介します。今、私がボランティア活動を続けている理由にもなっているものです。「IS Volunteers」&「学ボ」のメンバー |
<連絡先> 団体名: 日系ユースネットワーク(Nikkei Youth Network) |