多文化共生関係資料
東日本大震災支援活動記録
在住外国人による支援活動
■宮崎 アントニオ マルコ
<インタビューイー紹介> 宮崎 アントニオ マルコさん ブラジル連邦共和国パラナ州出身。2003年に来日。群馬県大泉町在住。 外国人集住率が全国で最も高いと言われている大泉町内で、ブラジルレストランを営業。 大泉町のブラジル人ボランティアチーム「We are with You」代表を務めている。
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東日本大震災ではどんな活動をしましたか?
- ふだんから親しくしている大泉町役場の職員からの呼びかけで、宮城県亘理町と福島県の避難所に炊き出しに行きました。
避難生活をしている人たちに、少しでも元気になってほしいと思い、ブラジル風のホットドッグと本場のコーヒーを作ることにしました。テレビを見ると、避難所にはたくさんのおじいちゃんやおばあちゃんがいたので、「ブラジルの料理は大丈夫かな?」ととても心配でしたが、役場の友人が「このホットドッグなら、日本人もおいしく食べられるよ」と言ってくれたので、一生懸命作りました。
実際に避難所で配ったら、たくさんの人たちが「すごくおいしい」と言って、喜んでくれました。
コーヒーを何杯もおかわりしてくれたお年寄りもいて、うれしくなりました。 - また、福島県から避難してきている人たちを、自分が経営しているブラジルレストランに招待して、シュラスコを食べてもらいました。
どんな思いで活動しましたか? また、活動の際に難しいと感じた点、助けになったことは何ですか?
- 私もブラジルにお母さんがいるので、地震のすぐ後から、テレビで東北のおじいちゃんやおばあちゃんが大変な思いをしているところを見て、涙が止まりませんでした。それに、私はいつも役場の人たちや近所の日本人からも、とてもお世話になっているので、何か恩返しがしたいと、ずっと考えていました。だから、私たちブラジル人にも声をかけてもらって、日本人ボランティアの人たちと一緒にバスに乗って被災地に行けたのは、本当に良かったです。
- 活動のときに難しいと感じたことはありませんでしたが、もっと日本語を話せるようになっていたら良かったのに…と思いました。日本に来てから、テレビのニュースなどで聞く言葉を、毎日ひとつずつ覚えるようにしていましたが、避難所にいる人たちに何と言葉をかけて良いのかわからなくて。
食べ物だけじゃなくて、日本語でおじいちゃんやおばあちゃんを励ましたかった。
支援活動を通じて感じたこと、気づいたことを教えてください。
- 炊き出しに行く日は、前の日から材料や道具を準備したり、朝早くの出発だったので、帰りのバスに乗るころはとても疲れていました。でも、体は疲れていても、心はとてもあたたかくて、私のほうが元気をもらったような気がしました。
今後はどんな活動を予定されていますか?
- 自分が入っているボランティアチームはもちろんですが、個人的にも仕事やブラジルコミュニティを通じて、できることをみつけながらボランティアをしていきたいです。
- 大泉町役場には「文化の通訳」を育てようという事業があるので、自分も正しい情報をブラジル人に伝えるように心がけたいと思っています。
このサイトを見ている人にメッセージをお願いします。
- リーマンショックの後に、たくさんの外国人たちが帰国しましたが、私は日本に残ることを決めました。日本は安全だし、文化や食べ物も大好きです。一度、ブラジルに帰ったときも、早く大泉町に戻りたくて仕方なかったです。日本語が少しできるようになると、日本の良さや日本人の優しさがよくわかるようになります。これから、日本人と外国人がお互いに協力し合って、みんなに幸せな生活が戻ってくるように、一緒に頑張りましょう。
We are with you のメンバー | 消防署での救命訓練 |
河川敷の清掃 | 炊き出し訓練でブラジルスープを作っている様子 |